2020年10月04日

浮立の季節

おひさしぶりです。早いものでもう10月ですね。

佐賀の秋は浮立の季節です。毎年9~10月ごろ、佐賀の農村部の小さな集落の鎮守の森の境内で行われるお祭りです。収穫の季節、秋晴れの空の下、祭り囃子と華やかな踊りが郷愁を誘います。今の時代、数少ない貴重な日本の原風景ですね。コロナ禍の本年は浮立は行われるのでしょうか?

さて、以下の文は2005年、佐賀の浮立を英文のホームページで世界に紹介するぞぉshine!と一念発起して取材したものの日本語バージョンです。その後は塾を始めたりして未完のままになっております。gawk英文の一部は過去何度か佐賀ファンに投稿したことがあります。


【浮立(ふりゅう)】
風流踊り(ふりゅうおどりから派生したといわれております。伝統的な民衆の踊りのことで肥前の国で浮立と書かれます。この地域には、多種多様な形態の風流踊りがあります。





【府招浮立】
伊万里市 南波多町 府招き 氏神権現社 愛宕神社にて 10月中旬







神社の境内に入場するまで、畦道から、参道を踊りながら進んでゆきます。道行といわれて、稲刈り後の田んぼや青空と艶やかな衣装とのコントラストが鮮やかです。

特徴; 銭太鼓浮立。まず、厳かな神事に始まります。10以上の演目が続きます。お昼過ぎから夕方遅くまで続きます。地元の人やお客さんはお弁当やお酒を酌み交わしながらワイワイとお祭り鑑賞を楽しんでいました。銭太鼓踊りでは、十代から幼児たちの踊りを中心に、大人たちが囃子を延々と奏でます。府招浮立の囃子はとてもノリがいいです。どんどんとテンポ上がっていくときはロックのライブを観てるような気がしました。小銭は女性によって演じられる銭太鼓踊りです。大綾は綾踊りの一種で通常は女性によって両端に飾り撥を使って優雅に演じられ府招浮立の大綾では男性が勇壮な太鼓踊りを演じます。いくつもの鉦、締め太鼓、大太鼓や笛が軽快に奏でる囃子にさわせ、銭太鼓踊りでは女性はタンバリンのような小太鼓を振り上げ踊り(小銭)、男性は大太鼓を見事な振り付けで、踊りながら打ち鳴らします。さらに、舞台ではいくつかの人形浄瑠璃の演目を人が演じます。

府招地区では、踊りは代々師匠筋によって伝承されており、子供から、お年寄りまで公民館に集まって長い間、踊りや演目を熱心に練習するそうです。特に府招きの少年少女は一生懸命になるそうです。このため、その演技は素晴らしいです。府招浮立は全国的にも人気が高く、多くの郷土祭りのイベントに招待されるそうです。大綾は女性が主に踊る綾踊りの一種ですが、府招では男性が勇壮に舞います。
 

【荒踊り】
場所:武雄市の三箇所:①朝日町の中野八幡神社 ②東川登 宇土手(うとで)正一神社 ③西川登 高瀬(こうぜ)松尾神社
9月中旬 午前から午後 高瀬地区(高瀬は残念ながら取材できませんでした。)




由来:いくつかの仮説があり、中でもよく言われているのが1530年武雄の領に島原より有馬氏率いる部隊の進入を、後藤氏率いる武雄側が宇土手地区で打ち破り、その戦勝を祝って足軽が即興で踊ったのが始まりと云われてます。

荒踊りの特徴:奴踊りの一種(男が演じる風流)で、もっしょと言う踊り手は刀をさして当時の足軽の衣装を着けて踊ります。唄は江戸中期に流行ったもので、恋の唄ものあるそうです。(江戸時代に唄ものが追加されたのでしょうか。)綾踊りは女性によって演じられる風流踊りです。子供銭太鼓は、学校が終わって体育館に残って練習したそうで、大変立派な演舞でした。ご両親や先生、地域の協力があって、このような貴重な伝統芸能は受け継がれていくのでしょう。



【市川天衝舞】
10月中旬午後 佐賀市富士町市川にて。
佐賀市富士町市川諏訪神社にて。




天山山系の奥深い盆地に市川は有ります。

祭りはとある民家から始まり、奉納される神社まで道行がありました。諏訪神社は1500年ごろ小城の千葉氏の一族の信州の諏訪神社の分霊して(歓請)建立されました。踊りは武士の舞のようです。人里離れた集落はたびたび平家の里と呼ばれますね。九州は平家の勢力が強かったところです。壇ノ浦で敗れた平家の残党が九州各地に逃れて身を潜めてたまま、その地に根付きました市川がそうであるのかは全く定かではないですが、ちょっと想像を掻き立られます。このような山深いところに豊かな文化が根付いているわけですから・・。誰かが当時の先進的文化をここに持ち込んだはずです。。佐賀の戦国時代には肥前の地域でもいくつも勢力がたびたび抗争を繰り返してました。やぶれた勢力は落人となって、あるものは村人に救われ、あるものは独自に山を開いて、嘗ての彼らの文化根付かせたたはずです。


【星領浮立】

時間・期日 2005年9月18日2:00pm 唐津市厳木町星領 天山山系 



厳木ダムから山道を迷い迷いしながら天山山系の中腹の集落星領地区にはいり、深い森の中の遠くから祭囃子を聴いたときは何とも言えない感動を覚えました。森林の深いところの小さな社であ、藤原神社で天衝舞浮立が奉納されまた。男性のみが演舞を許されてます。テンツクミャーと呼ばれる演技者はひとりでその演舞はいくつかパターンで構成されてます。ひれ伏す所作、独特な歩き出し、地面に手をつき反転し、太鼓をたたきます。これをいろいろな方向に向かって演じます。このようなとても小さな規模の浮立がいくつも消滅して言ったそうです。そういう意味でこの区民には頭が下がります。また厳木町内では同じ月に天川浮立や広瀬浮立が行われてます。


【米多浮立】
10月23日 pm2:30
佐賀市上峰米多 老松神社にて。



ここでは三人によって天衝舞いが演じられるのが大きな特徴です。この地域は佐賀平野の真ん中に位置し、米の豊作を祈って奉納されてるものと思われます。1641年に玄蕃一流浮立がこの地にもたらされ根付いたそうです。


【四阿屋神社の御田舞い】

10月23日1:00pm 鳥栖市上の蔵老松神社にて。



御田舞いは田楽の一種で、鍬田を耕したり、種をまく所作を取り入れた舞いが奉納されます。四角い田んぼのように囲いの中で艶やかな幌をかぶっった幼女がささらという古来の楽器もって時々鳴らすのは田楽の特徴のようです。四阿屋神社は背振山系にありまが、ここ老松神社で御田舞いが奉納されいます。神崎仁比山神社では十二年に一度御田舞が奉納されます。


【白髭神社の田楽】10月18・19日 12pm (取材は18日)
佐賀市久保泉町 佐賀平野北部背振山系の裾野 白髭神社にて。国指定無形文化財。



田楽は古代の時代から演じられてきました。米は神聖な作物として朝廷でも祭事(新嘗祭が代表例)において、神事を献上されます。平安時代から鎌倉時代には田楽は盛んに農民たちの間でも行われ、室町時代では(猿楽と融合して)、能の形に発展してゆきます。ただし田楽自体は風流化(演舞を楽しむ)したというよりも、厳かな神事として演じられるようになりました。

歴史的には、平安後期、先進的農業技術を持った集団が近江の国(滋賀)よりここに移り住み、ここを開拓したと言われます。彼らは自分たちが収穫の神と崇めてきた来た白髭大明神を祭るため分霊し神社をこの地にも建立しました。(歓請) 故郷と同じように田楽を奉納しました。演舞者:さらさつき:少年が女性が着るような着物を着、花笠の幌をきて田楽特有のささらという古代楽器を両手手に持ち、じゃらりひねって時々鳴らしましす。かけうち:太鼓を持った少し年上の少年二人が独特の、発声をして舞いを演じます。彼ら演技者は地元の応募者から抽選で選ばれ、この祭事の期間は魚を食べること禁じられます。

白髭神社は日本いくつもに存在いてます。そこに奉られている神様は長寿に御利益があると信じられてます。


鹿島の面浮立などまだまだ廻りきれてない浮立がたくさんありますね。いつかまた、佐賀の浮立をビデオに収めて動画サイトにアップできたらと考えてますが、なかなか。・・。一つのお祭りで丸一日かかったりしますので・・。演者の方々はもっと大変でしょうけど・・。(体力と気力と時間とお金が少々かかります。あの頃はよくやったなぁ・・・wobbly

ではまた~。happy02


  


Posted by いっきゅう  at 23:50Comments(0)佐賀の紹介