2019年11月10日

サントラ「思い出のマーニー」と秋の都川内ダム湖畔散策

お天気のいい日曜日の昼下がり、都川内ダム湖の周りを歩きました。(久しぶりにカメラを片手に。)散歩のお伴はi-POD playlist 前回ブログで紹介した映画「思い出のマーニー」のオリジナルサウンドトラック。村松崇継作品。このサウンドトラックは言葉では言い尽くせない傑作です。映画本編のあの独特のうつくしく静謐で不可思議な雰囲気は、アニメ―ション作画はもちろんですが、この素晴らし音楽によるものであるといってもいいでしょう。



秋の都川内ダム湖畔の散策はその「思い出のマーニー」のサントラをBGMにした「映像作品」をみるようです。沿道の緑の樹木から零れ落ちる陽光の粒は、エコーの効いた電子ピアノの音の粒立ちのようで、エメラルド色の湖面にそよぐ波紋はバックグランドのゆったりとしたうつくしいストリングスのようです。



ダム湖畔に浮かぶ小島のような岬に古い屋敷でもあれば、まさにマーニーの世界のようです。月夜の晩、湖面に小船を漕ぎ出してこのサウンドトラックを流したらどんなに素晴らしいだろうなぁ・・サントラ収録曲の「杏奈」がピアノで弾けるようになったらどんなに楽しいだろうなぁ・・。このダム湖でジブリの背景画ような水彩画を描けたらなぁ・・などと、夢うつつ、うっとりした気持ちになってサンウドトラック二枚組全曲聴きながら二周歩きました。さぁ、もう一周・・と思いもましたが用心のためやめときました(笑)





数は多くはないですが冬の渡り鳥の姿もちらほら見かけましたよ。でも、手持の安物コンデジでは上手くは写せません。sad



楽曲「マーニー」
  


2019年11月03日

魔女の宅急便に学ぶ処世術

先日のニュースで大学入試にための民間英語試験採用は延期になりました。
民間英語試験の採用を決定する過程で手続き上、不透明なところ、不備が多くあったようで致し方ないところかもしれません。延期のきっかけとなった萩生田文部大臣の「身の丈」発言は酷いものでした。もし文部大臣採用面接試験があったら不合格発言ですね。しかし、新しい試みとして英語の「読む+聞く」にプラス「話す+書く」力を試そうという、本来の目的が、この件で失われるとしたら、残念なことでもあります。sad

さて、今日は英検の面接試験でした。英検と言えば来年度よりスピーキングはパソコン画面に向かって話すシステムになり、従来の面接官による、直接の対話型でなくなります。より客観的に、効率的になるのはわかりますが、なんかさみしいです。吾輩は塾の授業は直接対話型にこだわっていまます。ネットで外部の講師を頼った授業はしないぞ!というポリシーでやっています。ネットを通してだと、塾生とのやり取りで何かこぼれ落ちてしまうものがあるようで・・直接面談型のぬくもりというか、手作り感を大切にしたい。比較はできませんんが、ジブリなど日本のアニメが手書きにこだわり続けているようなものと勝手に思ってます。(ディズニーアニメのようにCGでやるのが経済的で効率的なのでしょうが・・) 

また、この時期は、あちこちの大学の推薦指定校推薦試験やAO試験行われます。(うれしいことに、いっきゅうに、さっそくいい知らせが入って来ました!!国立大smile)その多くの場合、面接試験があります。面接試験は、自分自身をいかに売り込むか、意欲や適正をアピールする機会といってもいいでしょう。発言の内容は公的なものと意識しなければなりません。問われたこと対して、友人や家族と話すような私的なものとは区別しなければなりません。バランスが取れたものであり、かつ、説得力(論理的)であるものでなければいけません。「合格するような受け答えをする」これを本意でないと感じる人(ワイはどんな時でも本音トークで行くぜ!みたいな。impact)によってはズルイと感じるかもしれません。が、面接試験に生き残るためにはある意味、処世術が必要であります。社会に出ればこの処世術がとても大事なことだと我輩は考えます。本番までしっかりいい準備+練習をしときましょう!wink

さて、本題の「魔女の宅急便」です。大学や企業は主人公のキキのように自立心があり、独創的でいろんな人とうまく関係を作れる人材に来て欲しいとおもうはずです。また学生だけでなく、社会人、我輩のような自営業者も学ぶことが多いのが魔女の宅急便です。


『魔女の宅急便』
監督:宮崎駿
原作:角野栄子
音楽:久石譲
1989年公開
*ココからネタバレあります。

魔女の世界の掟により、正式に魔女になるには13歳の満月の夜に、魔女のいない街で、自力で生活して修行しなけれならない。主人公のキキもたった一人(黒猫のジジが相棒)で、ほうきに乗って海にかこまれたヨーロッパ風のコリコ町に辿り着く。時代は19世紀後半から20世紀前半ぐらい?時代と街の設定はいろいろ混ぜあわせたらしいです。モデルも実在の少女(鈴木プロヂューサーの娘さん)です。その街の人々の魔女がいることを、気にしますが、ただそれだけでそっけない。知人もない街でただ一人不安でいっぱい。でも、キキがやったちょっとした親切が縁で、「グーチョキパン屋」に居候することになる。

キキはどうやって自活するか考える。下宿させてもらうかわりに、パン屋のお店を手伝う。そして、自分の特徴である箒を使って空を飛ぶ能力を使って宅急便をすることを思いつく。パン屋さんの好意で仕事を紹介してもらい、一生懸命、誠実に取り組み、彼女の人柄もあって徐々に口コミで仕事が増え、常連さんも増えていく。彼女はいつのまに自分の特徴を活かし、人脈を広げていくという処世術を実践しているのだ。そのうち、トンボ少年や森の絵描きのお姉さんなど友達も出来る。しかし、急に空をうまく飛ぶことが出来なくなる。これでは仕事にならない。話し相手だった黒猫のジジの言葉も分からなくなる。(ジジは恋に夢中です。)キキは魔法の力を失っていく・・。楽しみにしていたトンボから誘われていた飛行クラブのパーティ もいけなくなります。そして彼女は自分の存在価値がなくなってしまいそうで、ひどく落ち込みます。

その理由については、映画でははっきり説明がありません。我輩はスランプなんんだろう。と考えました。誰だって調子がいい時も悪い時もあるものですから。スランプになった大きな理由のひとつは嫌なことがありました。お客さんである、老婦人が孫娘ートンボノ友だちのひとりでもある)への誕生日プレゼント(ニシンのパイ:キキも一緒につくった)を雨の中、苦労して届けると、パーティの真っ最中。届け先のその娘は(キキと同じ年頃)、こんなのキライと言い放つのでした。キキはとても傷つき落ち込みます。

考えられるほかの理由としてなるほどと思ったのは(外国人の動画のジブリ映画の英語レビューで知りました。)①トンボ少年への恋心が魔力を弱めさせた。②13歳の少女キキは初潮を迎えたから魔法に力が衰えた。の2点です。①の恋については、トンボが決してイケンメン男子ではない(いい奴ですが(笑))こともあって、明らかにキキの恋心を表してるシーンはないとおもうのですが。ただ将来のキキの夫というのはとても自然のながれなので、気持ちのどこか奥底に芽生えていたのか知れない。きっと映画の終わったあとに恋愛に発達していくのでしょう。そんな余韻を持たせるエンディングでもありました。②についてはジブリの映画では思春期のヒロインが変化していく様をさりげなく描いているらしいので大いにありうるかもしれません。

答えのヒントとして宮崎監督インタビューで、思春期には自分で自分が分からなくなるような時期・・それに対する励ましを映画に込めたとおっしゃています。

そうこうしているうちに大事件が起こる。飛行機好きの友達のトンボの乗った飛行船のアクシデントで、時計台に宙ぶらりんぶら下がったままのトンボ。落ちたら命はない。それを見た街中の人々、テレビの生中継で大騒ぎ!そんな中、キキは彼を助けるために、全身全霊のでを振り絞る様に必死にもがくことで、飛ぶ力を取り戻し九死のトンボを助ける。ここで映画は終わる・・。

終わり方がなんとも唐突な感じがします。あまりに楽しい映画でもっともっと見たい気持ちも働いたのかもしれません・・もともと中篇映画になる予定が100分の長編になったわけで、現実的にはこれ以上の尺は出来なかったのかもしれません。(原作はどうなっていくのかな?原作は6巻あるそうです。35歳までの話だそうです。)というわけで、魔女宅の続編をずっ~と待っている次第です。「思い出のマーニー」の米林宏昌監督(スタジオポノック)による『メアリと魔女の花』がある意味、続編の位置づけなのでしょうか?見てないのでわかりませんが・・(村松崇継氏による音楽はすばらしい。)少なくとも原作では「メアリ」のほうがずとと古い話らしい。いつか見ようっと!

最後にキキは魔法の力はよみがえりました。でも、本当の彼女の力は「チャーミングさと心優しさ、そして一生懸命さ」ではないでしょうか?それが結果として処世術となって、彼女自身はもちろん皆を幸せにしているのだろうと思う次第です。happy01



最後になりましたが、久石譲による音楽がすばらしいです。「海の見える街」「旅たち」「空飛ぶ宅急便」をはじめサウンドトラックのどれもがそれぞれがいつまでも色あせないうつくしいスタンダード曲になっています。

  
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