2019年09月22日

『思い出のマーニー』ネタバレ注意

今日はあいにくの天気模様ですが、今の時期は月が綺麗ですね。塾が終わった日は月を見上げながら家路についています。月が印象的だったといえば前回ブログに書いた「かぐや姫の物語」そして、おなじジブリの映画から「思い出のマーニー」が想い出されます。

『思い出のマーニー』
原題:When Marnie Was Thereイギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品。スタジオジブリ制作・米林宏昌監督 2014年7月19日公開 第88回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされている

ジブリの二大看板 宮崎駿・高畑勲の名前はどこにもクレジットされてない。「風立ちぬ」を最後に宮崎駿引退後、次のジブリを担う、若手のエースによって製作された。しかし、この作品がスタジオジブリの最後の長編映画となってしまいました。

手書きテイストの作画は今までジブリ作品と同様いやそれ以上に息を呑むようにすばらしい。物語の筋など追わずに、風景や人の動きを観ているだけで十分に楽しめる映画です。碧い夜空と月明かり、入り江の水の動き。風のそよぎ、ぼんやりとした真珠色の雲など、すべてが 複雑で繊細で主人公杏奈彼女の心象を描いているようです。とくに印象的なのは月明かりに照らされた碧い入り江をふたりの主人公の少女が小船で漕いでいく場面です。静寂と孤独感に満ちている場面は忘れられません。それもそのはず、監督の米林氏はエリート集団ジブリにあっても最高級の描手であったそうです。『借りぐらしのアリエッティ』が監督デビュー作(脚本は宮崎駿)

とても不思議な映画です。観る者は途中、あれ?なんだ?なんだ?よくわからんぞ?と戸惑ってしまうでしょう。しかし最後まで観るとああそうだったのか!と納得感も得られるような一流の心理サスペンスになっております。と、同時に観終わった後、いろんな角度から再解釈できる多層構造の物語となっています。

*ネタばれ注意報!Spoiler alert!!

さて、ここからは大まかなストーリーに触れていきます。肝心要なところは、触れないようにしますが、まったくの白紙の状態で、いつかご覧になられたい方はここらは読まれないことをおススメします。

主人公、杏奈(あんな)は孤独な中学1年生。容姿は日本人ですが、髪はほんのり茶色の癖っ毛、青みがかった瞳。両親を亡くし養子として引き取られ育てられています。(彼女の出生と生い立ちがこの物語の大きな鍵ですが、最後の最後までなかなか明かされません。彼女の出生と生い立ちの秘密はネタバレ禁止事項とします。)育ての母は彼女なりに一生懸命杏奈のことを思っていますが、そのお母さんに対して、わずらわしく思い「おばさん」と呼んで態度もよしよそしい。いつもひとりで硬く心を閉ざし、周りから接触も疎ましく思い拒んでいます。絵を描くことで心のバランスを保っているようです。喘息も患っており学校でも孤立していることを心配した、育ての母とかかりつけの医者は、夏休みの間、空気の綺麗な親戚の家にしばらく静養することをすすめ、杏奈は釧路地方にしばらく滞在することになります。

静養先のおじさん、おばさんは気さくで、田舎の風景はとてもうつくしく描かれています。杏奈はスケッチを描く場所を探していると湿原の入り江の向こうに古い洋館を見つけます。以前、何処かで見たことのあるような感覚になります。湿原を歩いてわたって近づくと、廃墟となって誰も住んでいる様子はないです。いつのまに湿原の水はまし、あたりは入り江になっていました。七夕祭りの日、神社の境内で、良かれと新しい友達として紹介された親切だけどすこしおせっかい女の子に対して、ひどい言葉でののしり、傷つけます。しかし、その言葉はそのまま杏奈自身にも突き刺さり「自分のことが嫌い!」と嗚咽しながら自らをののしります。そのまま屋敷のある入江に向かいます。ほとりに小舟があります。杏奈は小舟に乗ってあの屋敷に向かいます。誰も見いないはずの屋敷に明かりが灯りました、杏奈が来るのを待ってたかのよう・・。金髪の青い目をした同じくらいの年頃の少女が屋敷から駆け下りてきて彼女を迎えます。少女はとても美しく朗らかです。その少女がマーニーです。杏奈はマーニーと不思議な感覚をおちいります。杏奈には珍しく初めての出会った娘とすぐに仲良くなります。それから、毎日にように、マーニーが待っているお屋敷に出かけて遊んだり心を打ち明けてお互い自分ことを話します。このお屋敷のお嬢様であるマーニーは外出ばかりする両親に子育てを事実上放棄され、いじわるな侍従とともの屋敷の閉じ込められた孤独な女の子であることを知ります。

ここでわたしたち観るものは、このブロンドの美少女マーニーって何者?とおもうはずです。実際杏奈もそうでした。「あなた人間?夢に観たひとにそっくり」ともいいます。マーニーは微笑んで杏奈の手を取って「夢じゃないわ。私たち秘密。永遠の秘密よ」といいます。しかしなぜかマーニーが現れない日があります。杏奈はうすうす知っています。マーニーは自分つくりだした幻想であることを。また私たち観る側もきっとそう思うでしょう。杏奈は想像の友達に会いに行って手を取り合い、お屋敷の舞踏会でおどったり 森で遊んだりしている、と。もし、これらが杏奈の作りだした幻想なら杏奈はかなり精神的に重症ではないでしょうか?杏奈が言う内側地とか外側とかじゃない、あっち側のマーニーの世界に行っちゃって帰らなくなるかもしれないと・・。

しかしマーニーは実在していたのです!!この屋敷がリフォームされることになり、そこの住人になる女の子に出会います。メガネの好奇心たっぷり女の子はマーニー日記を屋敷で見つけ出します。では、マーニーが幻想じゃないとしたら?何者でしょうか? (ここからは我輩の解釈です。映画ではなんの説明もありません。)二通りの解釈ができます。一つはガーディアンエンジェル、つまり杏奈の守護霊。孤独な彼女を見かねて救済に現れのだ、と。見終わったとき、マーニーと杏奈の関係を知り、そう思っていました。しかし、どうもそれでは、マーニーの言動・立ち振る舞いが不自然です。そこでもう一つの解釈、マーニーはお屋敷に獲りついた幽霊とすれば説明がつきます。しかし、怖い幽霊はなのではなく、昔この屋敷の閉じこもったまま時間の止まった世間知らずの無邪気なお嬢様の幽霊です。証言者もいます。いつも丘の上でお屋敷のスケッチを描いた女性が「あなたもマーニーにあったのね」と杏奈に言うのです。また、口数のすくない、釣り人もマーニーに出会ったことがあるとおもわれます。マーニーは自分と似て孤独の陰のある人のまえに姿を現すのではないでしょうか?たまたま杏奈もそのひとりだったのですが、ただ彼女が自分とよく似ていて、友情以上の何かを感じます。そう、お互いなにかただならぬ運命的関係を感じています。

「私とあなただけの永久の秘密。」と手を取り合い、抱き合うふたりの少女。ふたりは怪しい・・。女子同士の恋愛??ここは観た人の意見が分かれるところです。年頃のとても仲良しの女の子同士って擬似恋愛関係になり得るのでしょうか・・でも、その境界線はあいまいなものなものかもしれません・・。吾輩は杏奈の片想いじゃないかと考えます・・。そう思わせるシーンがいくつかあります。まず杏奈がボートをぎこちなく漕いでお屋敷に近づこうとしたとき真正面からマーニーがまるでミュージカルの主役のように芝居がかったように現れます。岸に激しくぶつかり揺れるボートから必死に岸にしがみつく杏奈に助けの手を差し伸べることなく、悠然と月明かりに照らされて夜風にブロンドの髪を揺らして立ち、おもわせぶりに微笑むのです。後ろに手を組んで上から目線で「だいじょうぶ?」と。そこからマーニーは杏奈を誘惑するように遊び感覚で取り付憑くのです。「おもしろそうな女の子が来たわ」といたずら心がわいてきたのでしょう・・。マーニーは自分自身の魅力を知っています。彼女に出合った誰もがその魅力に夢中になるのを・・・。マーニーは杏奈の肩を抱いたり、髪に花びらをさしたり・・・杏奈はとまどいつつ次第にマーニーに恋心を抱いてしまうのです。それは杏奈のマーニーを見る表情を見ればよく分かります。心を閉ざしてきた杏奈にとって初恋じゃないでしょうか?だから、自分の気持ちもうまく整理できなできないままマーニーに惹かれていくのです。無邪気なマーニーはそんなウブな杏奈をもてあそんだ罪作りな幽霊ちゃんなのです。(守護霊ならこんなことは決してしないでしょう。)で、マーニーもどんどん杏奈のことが大好きになります。杏奈とは違う意味で・・・。

ある夜、地元では幽霊が出るといわれているサイロに杏奈とマーニーは出かけます。そこはかつてマーニーがいじわるな侍従に無理やり連れて行かれたところです。マーニーにとってトラウマになった場所です。気味の悪い雰囲気のサイロの上に上っていくふたりに嵐が襲います。雷が激しくなり、恐怖で震えるマーニーを杏奈が抱きしめます。しかし、マーニーの前に現れたのは彼女のフィアンセの男の子(将来の夫)であり、マーニーは杏奈を置いて彼と伴に消え去ります・・。とても不思議で、よくわからない場面です。(そのせいで杏奈は死にそうになるのですが・・。)

別れの時がきます。杏奈は怒っています。サイロでなぜマーニーは自分を置いていなくなったのか?何故裏切ったのか?と問い詰めます。マーニーは硬く閉じられた二重窓を開けて「あなたが好き!」と叫びながら、「許して!」と許しを請います。まるで痴話げんかです。さらにマーニーは言います。あのサイロで恐怖のどん底のとき、傍いたのは杏奈ではない、と。(いたのはフィアンセでした。)そう、杏奈は失恋したのです。でも、杏奈は大声で「許してあげる!」といいます。そして「あなたが好きよ!」といいます(杏奈の心の窓を全開)。ここで、杏奈は「許すこと」経験・学習しました。それを聞いたマーニーは「永久に忘れない」といいながら杏奈の前から、そしてこのお屋敷から消えていきました・・。


杏奈はこの釧路の土地で心が開いていきます。気さくで優しい叔父さんと叔母さん。友人もできます。(お屋敷をスケッチする女性。無口な釣り人。眼鏡の少女。)自然うつくしく豊かおいしい食べ物・・そしてマーニーとの出会いと別れ・・。休暇もおわりに近づき、育てのおかあさんが迎えに来ます。母親は杏奈には知られたくない家庭の事情を告白します。しかし、杏奈はその秘密をすでに知って傷ついていました。しかし、それを聞いた杏奈は彼女のことをおばさんじゃなく、「おかあさん」と呼びます。(涙)ここで心を開いて許すことができたのです。そして、おかさんから、あの屋敷の古い写真を見せられ、彼女の出生の秘密が明らかになります。そこで初めて、杏奈はマーニーが誰なのか知ることになります。杏奈の存在の源流にマーニーがいたのだったのです!!(これ以上はネタバレ禁止事項ですので、書けません。)ここで冒頭のセリフ「この世には目に見えない魔法の輪がある」が思い出されます。

エンディングがまたすばらしい。出だしの冷たく無表情な始まりと対照的に、なんともいえない多幸感に包まれれます。プリシラ・アーンの主題歌Fine on the Outsideのイントロにのって、心を開き成長した杏奈がこの避暑地で出会った人たちひとりひとりに、さようならの挨拶をしていくシーン。ひどい言葉を投げかけた相手にも謝罪をし、許してもらえます。罪と罰、謝罪と許し、救済の循環の物語です。我輩の頬にいつのまに涙が、まるで雨の降りだしように、最初はポロリポリとやがて土砂降りとなってとめどなく流れだしました。


この映画に関する動画への世界中からのコメントが泣かせます。(英語と日本語のコメントしか理解できませんが)学校・会社・家族。社会・・周りとうまく折り合ってないひと、疎外感を感じている人たち杏奈に自己投影しています。たぶんこの映画はジブリ映画の中では一般的人気度でいえば地味な部類でしょう。ナウシカやサンやキキのようなスーパーキャラクター女の子やアシタカやハク、ハウル、パズーのようなスーパーヒーローは出てきません。魔法も大活劇もありません。すこしわかりづらくて、好き嫌いが分かれる映画かもしれません。でも、この映画が好きな人のこの映画に対する思い入れの深さは測りしれないものなのでしょう。もちろん我輩も「思い出のマーニー 大好きです。永久に。」happy02

最後の疑問点、マーニーは杏奈との運命的関係性を知り得たのでしょうか?いや最後まで知らなかったのではないでしょうか。彼女は少女のまま時が止まっていてお屋敷から出ることが出来ないさまよえる魂なのです。自分とよく似た杏奈と出会うことで自らの孤独を癒し、運命的に彼女を孤独な少女にさせてしまったことと(ネタばれ禁止事項)サイロでのシーンが重なり合い、杏奈から許しを得ることで成仏(=屋敷から解放され、フィアンセの元へいく。)できたのではないでしょうか?


と、ここまで我輩の勝手な解釈です。異論のある方もいらっしゃると思います。この作品は人によっていろんな解釈できるよう伏線や裏設定が、意図的にあえてあいまいに作られているようです。観終わって一週間ほど経ちますが、いまだに、まるでおもわせぶりのマーニーに惑わされている感覚に陥っております。まだ1回しか観てないので読み間違いしているかもしれません。いずれまた観直してみたいと思う映画です。





随分長くなりました。台風の日曜日、半日かけて書いてしまいました。rain ここまで読んでくださり、ありがとうございます。またいつか。confident


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