2015年06月08日

明るいほうへ

金子 みすゞの『明るいほうへ』という詩がある。

本当の明るさを知らない、陽光に恵まれないものたち。 植物でも、虫でも、こどもでも、明るいほうへ 明るいほうへ 向かう、と・・。

明るいほうへ

では陽光が十分に満ち足りたものは、それで十分にしあわせなのだろうか?

むしろ、居る場所が明るいだけに、ほんのわずかな影でも目立ってしまうではないだろうか?『明るいほうへ』の時代が金子 みすゞの生きた 暗く、貧しい時代だとすれば、現代の日本の私たちは『明るさ知ってしまった後の時代』を生きていくものの問題を抱えているようにも思える。 みすゞに言わせればなんとも贅沢な悩みだろう・・。でも悩みは悩みだ。

金子 みすゞの詩に触れたのはつい最近である。市立図書館の宮沢賢治の本棚の近くで、金子みすずの詩集を見つけた。名前だけは良く耳にしていたので何気にパラパラと薄い本をめくっていたら、どんどん引き込まれていった・・。

まず読みやすい。ことばが平易でリズムが良い。。穏やかで可愛らしいイメージがリズム良く続いていく・・。そして最後の最後で、バーンと大ドンデン返しがあったりするのだ!! 読んでて楽しくなる・・。


でも、楽しさのむこうに深い深い哀しみを感じないわけいかない。さらに哀しみの向こうにさらに、ドッキとする怖さ。生きるということの根源を問う事の怖さがあるように感じる。 しかし、そのまた向こう側に仄かな明るさがあるのだ。

明るいほうへ

それゆえ童謡詩であるにもかかわらず、多くの成人がひきつけられているのだろう。


シンプルなだけに、つい、こんな詩を書きたいと思せる。もちろんそう思うだけで、そう書くことなどはできない・・。

でもやっぱり、書いてみたい、と思うのだ。






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Posted by いっきゅう  at 14:52 │Comments(0)読書いっきゅう

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