2020年03月29日

究極のお母さんの子育てアニメ:おおかみこどもの雨と雪

こんばんわ。もうすぐ四月。四月は旅立ちの月ですね。多くの若い人は親元を離れて新しい暮らしを始める季節です。吾輩は子育ての経験はありませんが、子離れ親ばれの瞬間というものがあれば、それはとても寂しくもあり、同時に喜ばしいことでもありますね。ある種の動物の親子の間でもあるように、子離れ親ばれは子供の自立のためにもいつかは経験しなければいけないものなのですね。

さて、本題「おおかみこどもの雨と雪」は花さんという若いお母さんの子育てドラマです。やさしいやさしい映画です。アニメーションの画もサントラも音楽も子守唄のようなふわふわ綿毛のような音楽です。観はじめのほんの2、3分で確信しましたよ。これは傑作だ!!と。

ここからネタバレです。肝心なところは書きませんが。(予備知識なしで観られたい方は読まないでくださいでもこの映画は是非とも観てくださいね。絶対おススメです!happy02

花さんに子供はふたりいます。雪(姉)と雨(弟)という名前です。実はこのふたり、おおかみ人間との間にできたおおかみ子供なんです。おおかみ人間はこのアニメの世界では種族として生き残っていたのです。彼らのうち人間の姿で人間社会に密かに生活しているものがいる。花さんはおおかみ男と大学で知り合って恋に落ち子供をふたり授かりました。普通の若夫婦の普通の幸せな生活。ですが、まもなく、夫のおおかみ人間はふらっと夜出て行って、翌朝、川底におおかみの姿で死んでしまったのです。(なぜ死んだのか、少し謎なんです。おおかみの本能と人間の父親として生活していくことに無理があったのでしょうか・・)

花さんは最愛の夫を亡くした哀しみに暮れる暇がありません。花さんの子育て奮戦記の始まりです。何といってもふたりはおおかみこども。興奮するとおおかみになって走り回わらずにいられない。ものを食べるときもおおかみなんです。たくさんたべます。収入も若いお母さんひとりでやりくりして、おおかみこどもふたりを育てなければならない。しかも世間に、おおかみこどもであることが知られてはばれてはいけません。もし、知られたら人間の世界に居場所をなくすかもしれないからです。

都会での生活あきらめて、田舎のさらに辺鄙な古い民家を借り、自活する道を選びます。畑を作物をつくって、子供たちと一緒に野山で自由に生きる道をしかし、農作業が簡単にできるはずもありません。里の人々はまた都会もんの道楽がやってきた。「じき農業をあきらめて帰るがオチ」と陰口をたたきます。案の定、畑づくりはうまくいきません。そこに頑固もののじいさんが、花さんの様子見に来るようになります。気難しい爺さんは憎まれ口をたたきながら、農業を少しづつ教えていきます。花さんはどんなときでも笑顔で、一生懸命です。ここは「世界の片隅で」のすずさんとおなじで女性のたくましく生きる力を感じます。自分のまったく知らないところで、なんの力もなく、知り合いもいない。でも生きなければいけない。そのような状況でなんとか必死にニコニコしながらも(死に物狂いの笑顔。)自分の居場所をみつけだします。(ここが火垂るの墓の清太が決定的に欠落してたところです。)いつのまにか花さんの民家に村人も集まってきていろんなものを持って助けてくれます。ただ、花さんが作った畑にはイノシシなのど被害が出ないのが不思議におもいます。(そりゃ、おおかみ人間がいますからね。)

やがて子供たちは大きくなり、長女の雪は学校に通います。弟の雨は内向的で甘えん坊でいつもお母さんのそばにいます。陽気で活発な雪は学校で、圧倒的運動能力もあって友達ともうまくやっていきます。そこに転校生の草平がやってきます。勝気な草太は雪に面と向かってなんか「けものくさい」と言ってしまいます。雪は深く傷つきます。以来、雪はその転校生を避けるようになります。気になる転校生は追いかけてなぜ避ける?と問い詰めます。すると興奮した雪はおおかみとなって、草太を傷つけてしまうのです。草太は血を流し気を失います。学校でちょっとした問題になりますが、草平はよくわからんけどオオカミが現れてやられたんだといって雪を庇います。雪はそのことで学校に行けなくなったのですが、雪の家に学校のお知らせなどを届けに行きます。そして二人は仲良くなります。お互い好意を持ち始めます。

時がたち、雨もたくましいおおかみ男子になっています。(お父さんに似たイケメンです。)雨は馴染めない学校に行かなくなり、山に行くようになります。山には獣を支配する老キツネがおり雨は老キツネの弟子入りをするのです。

ふたりは生き方の違いをめぐって、(人間としてか、おおかみとしていきるか?」)大げんかをします。正におおかみ同志の大喧嘩です。牙を剥き、爪を立てて。こうなったら花さんはどうすることもできません。噛みつき、爪で殴り合い、血を流して争います。しかし本当の喧嘩の原因は、生まれながらにして「おおかみ人間」として生まれてきたこと。それを隠して生きなければいけないことへの怒りが爆発しているようにも見えます。

ある日、大雨が降ります。花さんは雪を学校に迎えにいこうとしますが、ふと、雨がいないことの気が付きます。すぐ花さんは気が付きます。彼は山に行ったことを・・。そして花さんは山の奥へ奥へと雨を探します。彼女は雨は山を選んだこと、おおかみとして生きていくことをすでに気が付いていますが、人間の母として受け入れ難いのです。息子を助けに行くというよりむしろなんとか人間として自分の元に取り戻したかったのでしょう土砂降りの中どこまでもどこまでも山奥へと登っていく花さん・・。ここでふと気になるのが、雪のナレーションが過去形であること。母のことを過去形でかたっていることです・・。このまま花さんは死んじゃうの?ついに花さんは崖から滑落ちます。そして・・・花さんの意識の中、彼女を迎えに来たのがあのおおかみ人間です・・。じゃ花さんは死んじゃったの・・?いや、これ以上のネタバレは止めときます。

一方、大雨の中、親が迎えの来ないで学校内に二人っきりとりのこされた雪と草太。親密な二人。雪は草太に告白します、自分がおおかみ人間であることを。そしておおかみの姿に変身してみせます。(取り様によってはホラー映画ですね。surprise)そして草太は・・・いや、ここも止めときます。一番いいところはネタバレさせてはいけません。confidentで、この映画結末どうなん?いやいや言えませんよ。でも心から「花おかあさん。ホントにご苦労様でしたぁ。」と言いたくなりますよ。

ではまた~。



監督 細田守
脚本 奥寺佐渡子
細田守
原作 細田守
出演者 宮崎あおい 大沢たかお
音楽 高木正勝
主題歌 アン・サリー
「おかあさんの唄」
公開 2012年7月21日



追記:この作品はスタジオジブリ作品ではないです。ただ監督の細田守さんはあのジブリの「ハウルの動く城」を監督を途中までやっていたそうです。でも、うまくいかなかった・・。これって「この世界の~」監督 片渕 須直さんが、「魔女の宅急便」を途中降板させられたことにかさなりますね。いやいや、やっぱり才能あるひとはジブリとの関係・因縁抜きには語れませんね。smile



CMです。ワードでいっきゅうのへたくそチラシ(新聞折込未定)作ってみました。



よろしくです。happy02  


2020年03月14日

「耳をすませば」受験と恋と自分探し

こんばんわ。ついに佐賀県にもコロナ感染者がでて来週再開予定の県内の休校期間がのびてしまいました。まあ、しょーがないですかね?disease いっきゅうはとりあえずいつもどうりやっています。と言いますか春季講座前倒しです。高校・中学準備講座もやっています。理由は前回書いた通りです。でも地域の感染の拡がりを注視しながら、休講も視野に入れつつではありますが・・。


さて、受験期なかなか投稿できなかったので、書きたいこと溜まっています。またいろいろ好き勝手に書いてみようと思います。とりあえず佐賀ファンブログということで、ご当地ネタ。というわけで、地元図書館から借りた映画や本の紹介ですかね。(まあ、これしか無いのですがdespair )武雄図書館も借りられるそうなので、足を延ばそうかな?で今回は、ジブリ(やっぱりまたか・・)の「耳をすませば」紹介です。去年借りてみたのでおもいだしつつ・・・。


柊あおいの少女漫画が原作
スタジオジブリ 近藤喜文監督作品
1995年7月15日封切り


14歳女子中学生の”恋に受験に自分探し””の胸キュンアニメです。中学校の頃の恋はなんかぎこちないし恥ずかしいし、めったに成就するもんじゃないですよね? さすが少女漫画見事に屈託なく成就させてしまってます。happy02

まあ、中学生のたわいもない恋愛ストーリーなんですが、何がすごいって、日本一いや世界一のアニメスタジオのNO1の描き手だった近藤喜文の
唯一無二の渾身の作品なんです!時代背景は1990年代の東京都、多摩市・日野市・武蔵野市などにニュータウン。当時の時代風景が詳細に描かれています。雫が電車に乗ったり、走り回ったり、自転車で相乗りする街角は、本物の映像よりリアルな感じがします。ああ・・こんな街たしかにあるよな~。主人公の雫の公団住宅の間取り日常品の細部まで、生活感活き活き描きこまれております。

監督の近藤喜文は作画の天才で「火垂るの墓」「となりのトトロ」制作時、高畑勲と宮崎駿の2大巨人から、近藤喜文さんを取り合いなった話は有名です。両巨匠どちちらも近藤氏がいないと、制作をやめる!といいだしたらしい。結局、困った鈴木敏夫プロデューサーが、「宮さんあなたは絵が描けるから、高畑さんのところでやってもうらうしかない。」といって説得したらしいけど、宮崎駿はずっとそのことを根に持ってたらしい。(近藤さんは残念なことに47歳の若さで急逝された。「火垂るの墓」はアニメ史上最も美しい作品だと吾輩は思います。(「火垂るの墓」作品については、いつかブログに書くつもりです。)その葬儀の追悼の言葉で宮崎さんは「トトロVS火垂る 近藤争奪戦」の恨み節をぶちまけたらししい。(笑)いやでも実にいい話ですよね。あの天下の宮崎駿に・・・ね?こんな名誉なことはないですよね。


ここからちょっとだけネタばれです。
主人公の月島雫は本が大好き。図書館からたくさん本を借りて読んでいます。ひとつ気なることが・・借りた本の図書カードにいつも天沢聖司という名前があるのです。どういうひとなんだろう?といろいろ想像してみます。で、その人が同じ中学の同級生でああることが判明します。しかもイケメンでちょっと意地悪。(いかにも少女漫画) お互い意識しながらぎこちないながらも、しだいに仲良くなり交際をはじめます。二人は受験や将来のことをはなします。彼は受験せずバイオリン職人になるために、イタリアに修行にいくのだといいます。それを聞いた雫は自分には何もない、と、落ち込みます。しっかりとした彼氏に自分は釣り合わない!と自分探しをはじめちゃいます。で、自分が一番好きなことである物語を書きたいと、小説を書き始めるのです。受験期真っただ中に。当然成績は急落。当然、家族が心配します。何やってんの?!家族会議です。でも、雫は、受験も頑張る約束で必死で小説を書きあげます。(できたのがあの『猫の恩返し』にそっくりでなんです。)なんだかんだあって、エンディングなのですが、恥ずかしいくらいのハッピーエンドでなのです。ただ、この好感度抜群のさわやかイケメンは、あの図書カードは雫の気を引く作戦だったことを話してしまうのです!(ユーミンの歌の「まちぶせ」の男バージョンか!)。あれ~と、見るものはちょっとがっかりさせられます。プロポーズしておきながら、こんなこと話してしまうあたりなんて野暮な・・・。でもしばらくして、はやり聖司は正直者でいいやつだとおもいました。

さて、なんと「耳をすませば」の実写版、あれから10年後が撮られるそうです!! ですが、熱狂的な「耳すま」ファン(ジブリでこれが一番好き!という人が少なくない。)はやめてくれ~とぼやいてるようです。吾輩もそうおいもうます。なんて野暮なことを!と。

では、また~。wink

  


2019年11月10日

サントラ「思い出のマーニー」と秋の都川内ダム湖畔散策

お天気のいい日曜日の昼下がり、都川内ダム湖の周りを歩きました。(久しぶりにカメラを片手に。)散歩のお伴はi-POD playlist 前回ブログで紹介した映画「思い出のマーニー」のオリジナルサウンドトラック。村松崇継作品。このサウンドトラックは言葉では言い尽くせない傑作です。映画本編のあの独特のうつくしく静謐で不可思議な雰囲気は、アニメ―ション作画はもちろんですが、この素晴らし音楽によるものであるといってもいいでしょう。



秋の都川内ダム湖畔の散策はその「思い出のマーニー」のサントラをBGMにした「映像作品」をみるようです。沿道の緑の樹木から零れ落ちる陽光の粒は、エコーの効いた電子ピアノの音の粒立ちのようで、エメラルド色の湖面にそよぐ波紋はバックグランドのゆったりとしたうつくしいストリングスのようです。



ダム湖畔に浮かぶ小島のような岬に古い屋敷でもあれば、まさにマーニーの世界のようです。月夜の晩、湖面に小船を漕ぎ出してこのサウンドトラックを流したらどんなに素晴らしいだろうなぁ・・サントラ収録曲の「杏奈」がピアノで弾けるようになったらどんなに楽しいだろうなぁ・・。このダム湖でジブリの背景画ような水彩画を描けたらなぁ・・などと、夢うつつ、うっとりした気持ちになってサンウドトラック二枚組全曲聴きながら二周歩きました。さぁ、もう一周・・と思いもましたが用心のためやめときました(笑)





数は多くはないですが冬の渡り鳥の姿もちらほら見かけましたよ。でも、手持の安物コンデジでは上手くは写せません。sad



楽曲「マーニー」
  


2019年11月03日

魔女の宅急便に学ぶ処世術

先日のニュースで大学入試にための民間英語試験採用は延期になりました。
民間英語試験の採用を決定する過程で手続き上、不透明なところ、不備が多くあったようで致し方ないところかもしれません。延期のきっかけとなった萩生田文部大臣の「身の丈」発言は酷いものでした。もし文部大臣採用面接試験があったら不合格発言ですね。しかし、新しい試みとして英語の「読む+聞く」にプラス「話す+書く」力を試そうという、本来の目的が、この件で失われるとしたら、残念なことでもあります。sad

さて、今日は英検の面接試験でした。英検と言えば来年度よりスピーキングはパソコン画面に向かって話すシステムになり、従来の面接官による、直接の対話型でなくなります。より客観的に、効率的になるのはわかりますが、なんかさみしいです。吾輩は塾の授業は直接対話型にこだわっていまます。ネットで外部の講師を頼った授業はしないぞ!というポリシーでやっています。ネットを通してだと、塾生とのやり取りで何かこぼれ落ちてしまうものがあるようで・・直接面談型のぬくもりというか、手作り感を大切にしたい。比較はできませんんが、ジブリなど日本のアニメが手書きにこだわり続けているようなものと勝手に思ってます。(ディズニーアニメのようにCGでやるのが経済的で効率的なのでしょうが・・) 

また、この時期は、あちこちの大学の推薦指定校推薦試験やAO試験行われます。(うれしいことに、いっきゅうに、さっそくいい知らせが入って来ました!!国立大smile)その多くの場合、面接試験があります。面接試験は、自分自身をいかに売り込むか、意欲や適正をアピールする機会といってもいいでしょう。発言の内容は公的なものと意識しなければなりません。問われたこと対して、友人や家族と話すような私的なものとは区別しなければなりません。バランスが取れたものであり、かつ、説得力(論理的)であるものでなければいけません。「合格するような受け答えをする」これを本意でないと感じる人(ワイはどんな時でも本音トークで行くぜ!みたいな。impact)によってはズルイと感じるかもしれません。が、面接試験に生き残るためにはある意味、処世術が必要であります。社会に出ればこの処世術がとても大事なことだと我輩は考えます。本番までしっかりいい準備+練習をしときましょう!wink

さて、本題の「魔女の宅急便」です。大学や企業は主人公のキキのように自立心があり、独創的でいろんな人とうまく関係を作れる人材に来て欲しいとおもうはずです。また学生だけでなく、社会人、我輩のような自営業者も学ぶことが多いのが魔女の宅急便です。


『魔女の宅急便』
監督:宮崎駿
原作:角野栄子
音楽:久石譲
1989年公開
*ココからネタバレあります。

魔女の世界の掟により、正式に魔女になるには13歳の満月の夜に、魔女のいない街で、自力で生活して修行しなけれならない。主人公のキキもたった一人(黒猫のジジが相棒)で、ほうきに乗って海にかこまれたヨーロッパ風のコリコ町に辿り着く。時代は19世紀後半から20世紀前半ぐらい?時代と街の設定はいろいろ混ぜあわせたらしいです。モデルも実在の少女(鈴木プロヂューサーの娘さん)です。その街の人々の魔女がいることを、気にしますが、ただそれだけでそっけない。知人もない街でただ一人不安でいっぱい。でも、キキがやったちょっとした親切が縁で、「グーチョキパン屋」に居候することになる。

キキはどうやって自活するか考える。下宿させてもらうかわりに、パン屋のお店を手伝う。そして、自分の特徴である箒を使って空を飛ぶ能力を使って宅急便をすることを思いつく。パン屋さんの好意で仕事を紹介してもらい、一生懸命、誠実に取り組み、彼女の人柄もあって徐々に口コミで仕事が増え、常連さんも増えていく。彼女はいつのまに自分の特徴を活かし、人脈を広げていくという処世術を実践しているのだ。そのうち、トンボ少年や森の絵描きのお姉さんなど友達も出来る。しかし、急に空をうまく飛ぶことが出来なくなる。これでは仕事にならない。話し相手だった黒猫のジジの言葉も分からなくなる。(ジジは恋に夢中です。)キキは魔法の力を失っていく・・。楽しみにしていたトンボから誘われていた飛行クラブのパーティ もいけなくなります。そして彼女は自分の存在価値がなくなってしまいそうで、ひどく落ち込みます。

その理由については、映画でははっきり説明がありません。我輩はスランプなんんだろう。と考えました。誰だって調子がいい時も悪い時もあるものですから。スランプになった大きな理由のひとつは嫌なことがありました。お客さんである、老婦人が孫娘ートンボノ友だちのひとりでもある)への誕生日プレゼント(ニシンのパイ:キキも一緒につくった)を雨の中、苦労して届けると、パーティの真っ最中。届け先のその娘は(キキと同じ年頃)、こんなのキライと言い放つのでした。キキはとても傷つき落ち込みます。

考えられるほかの理由としてなるほどと思ったのは(外国人の動画のジブリ映画の英語レビューで知りました。)①トンボ少年への恋心が魔力を弱めさせた。②13歳の少女キキは初潮を迎えたから魔法に力が衰えた。の2点です。①の恋については、トンボが決してイケンメン男子ではない(いい奴ですが(笑))こともあって、明らかにキキの恋心を表してるシーンはないとおもうのですが。ただ将来のキキの夫というのはとても自然のながれなので、気持ちのどこか奥底に芽生えていたのか知れない。きっと映画の終わったあとに恋愛に発達していくのでしょう。そんな余韻を持たせるエンディングでもありました。②についてはジブリの映画では思春期のヒロインが変化していく様をさりげなく描いているらしいので大いにありうるかもしれません。

答えのヒントとして宮崎監督インタビューで、思春期には自分で自分が分からなくなるような時期・・それに対する励ましを映画に込めたとおっしゃています。

そうこうしているうちに大事件が起こる。飛行機好きの友達のトンボの乗った飛行船のアクシデントで、時計台に宙ぶらりんぶら下がったままのトンボ。落ちたら命はない。それを見た街中の人々、テレビの生中継で大騒ぎ!そんな中、キキは彼を助けるために、全身全霊のでを振り絞る様に必死にもがくことで、飛ぶ力を取り戻し九死のトンボを助ける。ここで映画は終わる・・。

終わり方がなんとも唐突な感じがします。あまりに楽しい映画でもっともっと見たい気持ちも働いたのかもしれません・・もともと中篇映画になる予定が100分の長編になったわけで、現実的にはこれ以上の尺は出来なかったのかもしれません。(原作はどうなっていくのかな?原作は6巻あるそうです。35歳までの話だそうです。)というわけで、魔女宅の続編をずっ~と待っている次第です。「思い出のマーニー」の米林宏昌監督(スタジオポノック)による『メアリと魔女の花』がある意味、続編の位置づけなのでしょうか?見てないのでわかりませんが・・(村松崇継氏による音楽はすばらしい。)少なくとも原作では「メアリ」のほうがずとと古い話らしい。いつか見ようっと!

最後にキキは魔法の力はよみがえりました。でも、本当の彼女の力は「チャーミングさと心優しさ、そして一生懸命さ」ではないでしょうか?それが結果として処世術となって、彼女自身はもちろん皆を幸せにしているのだろうと思う次第です。happy01



最後になりましたが、久石譲による音楽がすばらしいです。「海の見える街」「旅たち」「空飛ぶ宅急便」をはじめサウンドトラックのどれもがそれぞれがいつまでも色あせないうつくしいスタンダード曲になっています。

  
タグ :魔女宅


2019年09月22日

『思い出のマーニー』ネタバレ注意

今日はあいにくの天気模様ですが、今の時期は月が綺麗ですね。塾が終わった日は月を見上げながら家路についています。月が印象的だったといえば前回ブログに書いた「かぐや姫の物語」そして、おなじジブリの映画から「思い出のマーニー」が想い出されます。

『思い出のマーニー』
原題:When Marnie Was Thereイギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品。スタジオジブリ制作・米林宏昌監督 2014年7月19日公開 第88回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされている

ジブリの二大看板 宮崎駿・高畑勲の名前はどこにもクレジットされてない。「風立ちぬ」を最後に宮崎駿引退後、次のジブリを担う、若手のエースによって製作された。しかし、この作品がスタジオジブリの最後の長編映画となってしまいました。

手書きテイストの作画は今までジブリ作品と同様いやそれ以上に息を呑むようにすばらしい。物語の筋など追わずに、風景や人の動きを観ているだけで十分に楽しめる映画です。碧い夜空と月明かり、入り江の水の動き。風のそよぎ、ぼんやりとした真珠色の雲など、すべてが 複雑で繊細で主人公杏奈彼女の心象を描いているようです。とくに印象的なのは月明かりに照らされた碧い入り江をふたりの主人公の少女が小船で漕いでいく場面です。静寂と孤独感に満ちている場面は忘れられません。それもそのはず、監督の米林氏はエリート集団ジブリにあっても最高級の描手であったそうです。『借りぐらしのアリエッティ』が監督デビュー作(脚本は宮崎駿)

とても不思議な映画です。観る者は途中、あれ?なんだ?なんだ?よくわからんぞ?と戸惑ってしまうでしょう。しかし最後まで観るとああそうだったのか!と納得感も得られるような一流の心理サスペンスになっております。と、同時に観終わった後、いろんな角度から再解釈できる多層構造の物語となっています。

*ネタばれ注意報!Spoiler alert!!

さて、ここからは大まかなストーリーに触れていきます。肝心要なところは、触れないようにしますが、まったくの白紙の状態で、いつかご覧になられたい方はここらは読まれないことをおススメします。

主人公、杏奈(あんな)は孤独な中学1年生。容姿は日本人ですが、髪はほんのり茶色の癖っ毛、青みがかった瞳。両親を亡くし養子として引き取られ育てられています。(彼女の出生と生い立ちがこの物語の大きな鍵ですが、最後の最後までなかなか明かされません。彼女の出生と生い立ちの秘密はネタバレ禁止事項とします。)育ての母は彼女なりに一生懸命杏奈のことを思っていますが、そのお母さんに対して、わずらわしく思い「おばさん」と呼んで態度もよしよそしい。いつもひとりで硬く心を閉ざし、周りから接触も疎ましく思い拒んでいます。絵を描くことで心のバランスを保っているようです。喘息も患っており学校でも孤立していることを心配した、育ての母とかかりつけの医者は、夏休みの間、空気の綺麗な親戚の家にしばらく静養することをすすめ、杏奈は釧路地方にしばらく滞在することになります。

静養先のおじさん、おばさんは気さくで、田舎の風景はとてもうつくしく描かれています。杏奈はスケッチを描く場所を探していると湿原の入り江の向こうに古い洋館を見つけます。以前、何処かで見たことのあるような感覚になります。湿原を歩いてわたって近づくと、廃墟となって誰も住んでいる様子はないです。いつのまに湿原の水はまし、あたりは入り江になっていました。七夕祭りの日、神社の境内で、良かれと新しい友達として紹介された親切だけどすこしおせっかい女の子に対して、ひどい言葉でののしり、傷つけます。しかし、その言葉はそのまま杏奈自身にも突き刺さり「自分のことが嫌い!」と嗚咽しながら自らをののしります。そのまま屋敷のある入江に向かいます。ほとりに小舟があります。杏奈は小舟に乗ってあの屋敷に向かいます。誰も見いないはずの屋敷に明かりが灯りました、杏奈が来るのを待ってたかのよう・・。金髪の青い目をした同じくらいの年頃の少女が屋敷から駆け下りてきて彼女を迎えます。少女はとても美しく朗らかです。その少女がマーニーです。杏奈はマーニーと不思議な感覚をおちいります。杏奈には珍しく初めての出会った娘とすぐに仲良くなります。それから、毎日にように、マーニーが待っているお屋敷に出かけて遊んだり心を打ち明けてお互い自分ことを話します。このお屋敷のお嬢様であるマーニーは外出ばかりする両親に子育てを事実上放棄され、いじわるな侍従とともの屋敷の閉じ込められた孤独な女の子であることを知ります。

ここでわたしたち観るものは、このブロンドの美少女マーニーって何者?とおもうはずです。実際杏奈もそうでした。「あなた人間?夢に観たひとにそっくり」ともいいます。マーニーは微笑んで杏奈の手を取って「夢じゃないわ。私たち秘密。永遠の秘密よ」といいます。しかしなぜかマーニーが現れない日があります。杏奈はうすうす知っています。マーニーは自分つくりだした幻想であることを。また私たち観る側もきっとそう思うでしょう。杏奈は想像の友達に会いに行って手を取り合い、お屋敷の舞踏会でおどったり 森で遊んだりしている、と。もし、これらが杏奈の作りだした幻想なら杏奈はかなり精神的に重症ではないでしょうか?杏奈が言う内側地とか外側とかじゃない、あっち側のマーニーの世界に行っちゃって帰らなくなるかもしれないと・・。

しかしマーニーは実在していたのです!!この屋敷がリフォームされることになり、そこの住人になる女の子に出会います。メガネの好奇心たっぷり女の子はマーニー日記を屋敷で見つけ出します。では、マーニーが幻想じゃないとしたら?何者でしょうか? (ここからは我輩の解釈です。映画ではなんの説明もありません。)二通りの解釈ができます。一つはガーディアンエンジェル、つまり杏奈の守護霊。孤独な彼女を見かねて救済に現れのだ、と。見終わったとき、マーニーと杏奈の関係を知り、そう思っていました。しかし、どうもそれでは、マーニーの言動・立ち振る舞いが不自然です。そこでもう一つの解釈、マーニーはお屋敷に獲りついた幽霊とすれば説明がつきます。しかし、怖い幽霊はなのではなく、昔この屋敷の閉じこもったまま時間の止まった世間知らずの無邪気なお嬢様の幽霊です。証言者もいます。いつも丘の上でお屋敷のスケッチを描いた女性が「あなたもマーニーにあったのね」と杏奈に言うのです。また、口数のすくない、釣り人もマーニーに出会ったことがあるとおもわれます。マーニーは自分と似て孤独の陰のある人のまえに姿を現すのではないでしょうか?たまたま杏奈もそのひとりだったのですが、ただ彼女が自分とよく似ていて、友情以上の何かを感じます。そう、お互いなにかただならぬ運命的関係を感じています。

「私とあなただけの永久の秘密。」と手を取り合い、抱き合うふたりの少女。ふたりは怪しい・・。女子同士の恋愛??ここは観た人の意見が分かれるところです。年頃のとても仲良しの女の子同士って擬似恋愛関係になり得るのでしょうか・・でも、その境界線はあいまいなものなものかもしれません・・。吾輩は杏奈の片想いじゃないかと考えます・・。そう思わせるシーンがいくつかあります。まず杏奈がボートをぎこちなく漕いでお屋敷に近づこうとしたとき真正面からマーニーがまるでミュージカルの主役のように芝居がかったように現れます。岸に激しくぶつかり揺れるボートから必死に岸にしがみつく杏奈に助けの手を差し伸べることなく、悠然と月明かりに照らされて夜風にブロンドの髪を揺らして立ち、おもわせぶりに微笑むのです。後ろに手を組んで上から目線で「だいじょうぶ?」と。そこからマーニーは杏奈を誘惑するように遊び感覚で取り付憑くのです。「おもしろそうな女の子が来たわ」といたずら心がわいてきたのでしょう・・。マーニーは自分自身の魅力を知っています。彼女に出合った誰もがその魅力に夢中になるのを・・・。マーニーは杏奈の肩を抱いたり、髪に花びらをさしたり・・・杏奈はとまどいつつ次第にマーニーに恋心を抱いてしまうのです。それは杏奈のマーニーを見る表情を見ればよく分かります。心を閉ざしてきた杏奈にとって初恋じゃないでしょうか?だから、自分の気持ちもうまく整理できなできないままマーニーに惹かれていくのです。無邪気なマーニーはそんなウブな杏奈をもてあそんだ罪作りな幽霊ちゃんなのです。(守護霊ならこんなことは決してしないでしょう。)で、マーニーもどんどん杏奈のことが大好きになります。杏奈とは違う意味で・・・。

ある夜、地元では幽霊が出るといわれているサイロに杏奈とマーニーは出かけます。そこはかつてマーニーがいじわるな侍従に無理やり連れて行かれたところです。マーニーにとってトラウマになった場所です。気味の悪い雰囲気のサイロの上に上っていくふたりに嵐が襲います。雷が激しくなり、恐怖で震えるマーニーを杏奈が抱きしめます。しかし、マーニーの前に現れたのは彼女のフィアンセの男の子(将来の夫)であり、マーニーは杏奈を置いて彼と伴に消え去ります・・。とても不思議で、よくわからない場面です。(そのせいで杏奈は死にそうになるのですが・・。)

別れの時がきます。杏奈は怒っています。サイロでなぜマーニーは自分を置いていなくなったのか?何故裏切ったのか?と問い詰めます。マーニーは硬く閉じられた二重窓を開けて「あなたが好き!」と叫びながら、「許して!」と許しを請います。まるで痴話げんかです。さらにマーニーは言います。あのサイロで恐怖のどん底のとき、傍いたのは杏奈ではない、と。(いたのはフィアンセでした。)そう、杏奈は失恋したのです。でも、杏奈は大声で「許してあげる!」といいます。そして「あなたが好きよ!」といいます(杏奈の心の窓を全開)。ここで、杏奈は「許すこと」経験・学習しました。それを聞いたマーニーは「永久に忘れない」といいながら杏奈の前から、そしてこのお屋敷から消えていきました・・。


杏奈はこの釧路の土地で心が開いていきます。気さくで優しい叔父さんと叔母さん。友人もできます。(お屋敷をスケッチする女性。無口な釣り人。眼鏡の少女。)自然うつくしく豊かおいしい食べ物・・そしてマーニーとの出会いと別れ・・。休暇もおわりに近づき、育てのおかあさんが迎えに来ます。母親は杏奈には知られたくない家庭の事情を告白します。しかし、杏奈はその秘密をすでに知って傷ついていました。しかし、それを聞いた杏奈は彼女のことをおばさんじゃなく、「おかあさん」と呼びます。(涙)ここで心を開いて許すことができたのです。そして、おかさんから、あの屋敷の古い写真を見せられ、彼女の出生の秘密が明らかになります。そこで初めて、杏奈はマーニーが誰なのか知ることになります。杏奈の存在の源流にマーニーがいたのだったのです!!(これ以上はネタバレ禁止事項ですので、書けません。)ここで冒頭のセリフ「この世には目に見えない魔法の輪がある」が思い出されます。

エンディングがまたすばらしい。出だしの冷たく無表情な始まりと対照的に、なんともいえない多幸感に包まれれます。プリシラ・アーンの主題歌Fine on the Outsideのイントロにのって、心を開き成長した杏奈がこの避暑地で出会った人たちひとりひとりに、さようならの挨拶をしていくシーン。ひどい言葉を投げかけた相手にも謝罪をし、許してもらえます。罪と罰、謝罪と許し、救済の循環の物語です。我輩の頬にいつのまに涙が、まるで雨の降りだしように、最初はポロリポリとやがて土砂降りとなってとめどなく流れだしました。


この映画に関する動画への世界中からのコメントが泣かせます。(英語と日本語のコメントしか理解できませんが)学校・会社・家族。社会・・周りとうまく折り合ってないひと、疎外感を感じている人たち杏奈に自己投影しています。たぶんこの映画はジブリ映画の中では一般的人気度でいえば地味な部類でしょう。ナウシカやサンやキキのようなスーパーキャラクター女の子やアシタカやハク、ハウル、パズーのようなスーパーヒーローは出てきません。魔法も大活劇もありません。すこしわかりづらくて、好き嫌いが分かれる映画かもしれません。でも、この映画が好きな人のこの映画に対する思い入れの深さは測りしれないものなのでしょう。もちろん我輩も「思い出のマーニー 大好きです。永久に。」happy02

最後の疑問点、マーニーは杏奈との運命的関係性を知り得たのでしょうか?いや最後まで知らなかったのではないでしょうか。彼女は少女のまま時が止まっていてお屋敷から出ることが出来ないさまよえる魂なのです。自分とよく似た杏奈と出会うことで自らの孤独を癒し、運命的に彼女を孤独な少女にさせてしまったことと(ネタばれ禁止事項)サイロでのシーンが重なり合い、杏奈から許しを得ることで成仏(=屋敷から解放され、フィアンセの元へいく。)できたのではないでしょうか?


と、ここまで我輩の勝手な解釈です。異論のある方もいらっしゃると思います。この作品は人によっていろんな解釈できるよう伏線や裏設定が、意図的にあえてあいまいに作られているようです。観終わって一週間ほど経ちますが、いまだに、まるでおもわせぶりのマーニーに惑わされている感覚に陥っております。まだ1回しか観てないので読み間違いしているかもしれません。いずれまた観直してみたいと思う映画です。





随分長くなりました。台風の日曜日、半日かけて書いてしまいました。rain ここまで読んでくださり、ありがとうございます。またいつか。confident  


2019年08月31日

ハイジとかぐや姫

夏休みももうおわりですね。昨日は「天空の城 ラピュタ」がテレビ放映されました。塾から帰ってなんとかあの「バルス!」シーンを見ることはできました。(観るのは5回目ぐらいかな?)

我輩、この夏つい最近までなぜか「アルプスの少女ハイジ」を動画にハマッてしまいました。happy02 寝る前、動画サイトで毎晩、数話づつ、全52エピソードまで観ていました。観るたびに心が洗われるようでじわじわ感動してました。いろんな国の言語のサイトも有り、子供のときリアルタイムで見ていたアニメが世界中で愛されていることが分かりうれしくなりました。今、歳を重ねて見直すとそのクオリティの高さに驚いています。原作はヨハンナスピリですがアニメのキャラクターが実に生き生きしており、ついつい感情移入してしまいます。なんといっても作画がすばらしい!アルプスの風景画がじつにうつくしく、人々の生活の様子が見事に描きこまれている。それもそのはず、後のジブリの高畑勲・宮崎駿両氏が作ったのだから・・。また忘れてならないのが 渡辺岳夫氏によるBGM音楽。ドラマ展開に夢中にいなりがちですが、いろんなシーンにさりげなくすばらしい音楽が流れています。


ジブリといえば「ナウシカ・トトロ・ラピュタ・もののけ・千尋」この定番は何度でも繰り返し観ておりますが、あの誰でも知っている日本の古典をアニメ化した作品は未見でしたので、お盆休み、図書館から借りて観ました。(伊万里市民図書館のDVDコーナーにはジブリ作品がそろっています。)いや~大傑作でした。

「かぐや姫の物語」姫の犯した罪と罰
高畑勲 監督 スタジオジブリ制作2013年11月23日に公開
(ここからネタばれ注意)

日本の傑作古典「竹取物語」のアニメ化。最近のCGを駆使したアニメ作品と画風が一味ちがう。ひと筆描きの日本画風。うごきが細かくしなやかで柔らかい。素朴だけれど、手書きの温かみじわじわと染み入るように、心を奪われる。ひとつひとつのシーンが絵本のようのでもある。

私たち、見るものは、作中の“とと様やかか様”とおなじように姫を赤ん坊のときから成長を見守ることになります。姫に感情移入してしまいます。月に帰らんとする姫を見送るときの切なさは、半端ありません。crying

さて、ハイジもかぐや姫も共通したキャラクターがあります。圧倒的に、純粋無垢で、天真爛漫。感受性が豊かで、その魅力に周囲の人が魅了されてやみません。しかし、その魅力がときに罪作りなほどに周囲の人を翻弄させます。ハイジの場合、オンジ、ペーター、ペーターのおばあちゃん、クララ・・ハイジがいてくれないとどうしようもありません。でも、ハイジを愛する人はみな愛すべきいい人たちです。しかし、かぐや姫は違いました。みずしらずの男が狂ったように夢中になるのです・・・。

また、ふたりは自然児で自由人あります。自由や自然を奪われると、ふたりのこころは病んでしまいます。ハイジはアルムの山から無理やり連れて来られたフランクフルトの生活で、山が恋しくてたまらず幻想を見たり、夢遊病になって徘徊してしまいます。かぐや姫も、ふるさとの山里を離れ 窮屈な宮中生活に耐えかねて情緒不安定におちいり、やがてフラストレーションが爆発して野獣のように、走り出し山へと駆け上り雪の中へ倒れこみます。しかし、「月」は彼女を追いかけて時を巻き戻してしまいます。(死なせてはくれません)

とと様の手配で無理やりに山里から都に移ったかぐや姫。彼女の魅力は、都中に知れ渡ることになります。宮中の貴族はこぞって、姫詣でをします。姫の姿は彼らは観たことありません。しかし、琴の音、声やたたずまいを感じるだけで、魔法にかかったかのように夢中になります。とと様は、姫のためと、貴族の男たちとお見合いさせようとします。姫は、俗物丸出しの男たちが自分への想いを証明するため世の中にふたつもない宝を持ってくるよういいつけます。(ここに姫に悪意が芽生えます)男たちはそれぞれ奔走し、財産を失うものがあれば、命を失うものもでてきます。それを知った姫は深く傷つきます。実は姫には子供のころに遊んだステ丸という憧れのお兄さんの存在がいました。ある日、長い間離れ離れになったステ丸と再会します。ステ丸には妻子が会います。しかし、かぐや姫と分かった瞬間、ステ丸はたまらず一緒にどこまでも逃げようといいます。二人は抱き合い空を飛んで悦びを爆発させますが・・・やはり「月」に阻まれます。地上に落ちたステ丸は夢の中の出来事として現実の妻子の元へ帰ります。

やがて、帝がかぐや姫に会いに来るようになります。そこでかぐや姫は「月に帰りたい」と願ってしまうのです。自分自身の存在が周りの人間(男)を狂わせ不幸に至らせしまうことを感じ取ってしまうのです。月はそれを知ることになります。そうなった以上、どんなに姫が地球にいたいと念じても、とと様かか様や地上の人間が抵抗してもかないません。月のお迎えで帰ってしまいます。

月は不老不死の世界。なに不自由もなく争いもない平和そのもの世界。その月から見た地球。花や木、虫や鳥など生き物が生まれて死んでいくこと。死があるからこそ生きることが貴重で喜びである世界に興味を持った月のお姫のわがままが生み出したきまぐれの冒険物語なのでしょうか・・。いやそうではなく、命というものを知りたくて、死と隣り合わせの生を生きてみたいと心の底から思ったんじゃないか・・今も月が見える夜はかぐや姫が向こうにいて、地球を見守っていることを夢想してしまいます。いやしかしこう考えると、この日本古典文学すごいですね!





残念なことですがこの「かぐや姫の物語り」が高畑勲の遺作となりました。とても惜しいことですが、こんなすばらしい作品を遺作にできたこと、ハイジをはじめ「世界名作劇場」で時間を越えて世界中に愛される作品を数多く残されたこと。アニメ文化を芸術文化まで昇華させた功績はいつまでも世界中の人々から称えられることでしょう。しかしもっともっと評価されていい作家であり、今後いつか正当に評価されるときが来ることを祈っております。