2015年04月28日
雑誌ニュートン:【超ひも理論 super string theory】
科学雑誌『ニュートン』はおもしろい。最新科学理論の特集記事をイラストをふんだんに使っての解説や今注目の科学者への最新インタビュー記事等など。サイエンス・フィクションとサイエンス・ノンフィクションの境界線上にあるような最新理論に触れるだけでワクワクしてしまうのだ。たしかに内容をすべて理解しようとすると難しいものがある。でも、ロマンチックに面白がって読んでみると、こんなに知的に面白い雑誌ははない、と思う。いっきゅう文庫に我輩が興味ある特集号を置いてます。たまに塾生が借りていきます。
では、とても興味深いニュートン特集の『超ひも理論特集』 2013年1月号 要約してみよう。
物資の最小単位の素粒子はひもでできている。つまり自然界の最小部品は「ひも」である、という。音楽も映画もアニメも虹も海も月も光も重力も『ひも』で出来ているのだ。自然界の諸現象は無数の「ひも」がぶつかり、くっついたりしながらくりひろでられてる、という。

両立させるのが難しいといわれる二大理論物理学『量子力学』と『相対性理論』を『超ひも理論』によって統合できる可能性。それは宇宙正体、宇宙の誕生から現在未来の姿を飛躍的に解明できる可能性を意味する。
この世界は9次元で成り立っている、と『ひも理論』は言っている。私たちは3次元の世界に生きているため、知覚・認識出来ないが、理論では別に6次もの次元が隠れているそうだ。また、この宇宙には100億光年(およそ観測される宇宙の歴史の長さ)の長い宇宙ひもが存在しているらしい。

な、なんと別宇宙の解明も・・・。まさに異次元宇宙をも解明できる・・・というか、この宇宙は『多宇宙のひとつにすぎない』・・というのだがら。身近なひもからこんなスンゴイことに・・。不思議というか、面白いというか・・
雑誌『ニュートン』に関して今後もブログに書いてまいりたい。
では、とても興味深いニュートン特集の『超ひも理論特集』 2013年1月号 要約してみよう。
物資の最小単位の素粒子はひもでできている。つまり自然界の最小部品は「ひも」である、という。音楽も映画もアニメも虹も海も月も光も重力も『ひも』で出来ているのだ。自然界の諸現象は無数の「ひも」がぶつかり、くっついたりしながらくりひろでられてる、という。

両立させるのが難しいといわれる二大理論物理学『量子力学』と『相対性理論』を『超ひも理論』によって統合できる可能性。それは宇宙正体、宇宙の誕生から現在未来の姿を飛躍的に解明できる可能性を意味する。
この世界は9次元で成り立っている、と『ひも理論』は言っている。私たちは3次元の世界に生きているため、知覚・認識出来ないが、理論では別に6次もの次元が隠れているそうだ。また、この宇宙には100億光年(およそ観測される宇宙の歴史の長さ)の長い宇宙ひもが存在しているらしい。

な、なんと別宇宙の解明も・・・。まさに異次元宇宙をも解明できる・・・というか、この宇宙は『多宇宙のひとつにすぎない』・・というのだがら。身近なひもからこんなスンゴイことに・・。不思議というか、面白いというか・・
雑誌『ニュートン』に関して今後もブログに書いてまいりたい。
2015年04月23日
『数学は美しいか』
久しぶりに図書館に行ってきた。雑誌:考える人『数学は美しいか』 を借りた。
そもそも論理的に考えて数学と美は相容れないものではないか?数学は数の世界の理論であって、美の感覚とは無縁のものでは?
ただ、塾講師としてその言い方は納得できるものでもある。 中・高生に教えてるレベルの数学でも、スマートな美しい解き方というものが確かにある。きるだけ煩雑な計算をやらない。くどくどとまわりくどくない。シンプルで無駄のない解き方を美しいと言い方はできる、と思う。では、数学者の考える美しい数学とは・・・。

この雑誌には『私(数学者ら)が世界で一番うつくしい数式・証明集 』が載っている。オイラーやコーシー カントルーと、著名な数学者の名前を取った世にも美しいといわれる数式・証明が選出されている。パッと眺めただけでは正直、我輩にはムヅカシスギル・・。理解できないという以前に知識が追いついてない。(そのうち2つだけは解説を読んで理解できた。)このレベルの数学が美しいと言えるのはきっと数学者あるいは高等数学に精通した人のみだろう。意味がわからない人にとっては単に記号と数字の集まりにしか見えないだろう。ファインアートが美しいといえるのも、現代美術のことがある程度分かってはじめて言えるのと同じではないだろうか・・。

解説等を読んでみると、結局のところ、美しい数学とは『難解で広大な数のカオス世界を簡潔に抽象化できている』ことであろうかと、浅学の塾講師に過ぎない我輩はそう感じ取る。それはある種、芸術作品を見たときと同じ感動と共通項があるようだ。美術にも普遍的美の追求、抽象化という命題があるので、これは数学に通ずる、と言えよう。


そもそも論理的に考えて数学と美は相容れないものではないか?数学は数の世界の理論であって、美の感覚とは無縁のものでは?
ただ、塾講師としてその言い方は納得できるものでもある。 中・高生に教えてるレベルの数学でも、スマートな美しい解き方というものが確かにある。きるだけ煩雑な計算をやらない。くどくどとまわりくどくない。シンプルで無駄のない解き方を美しいと言い方はできる、と思う。では、数学者の考える美しい数学とは・・・。

この雑誌には『私(数学者ら)が世界で一番うつくしい数式・証明集 』が載っている。オイラーやコーシー カントルーと、著名な数学者の名前を取った世にも美しいといわれる数式・証明が選出されている。パッと眺めただけでは正直、我輩にはムヅカシスギル・・。理解できないという以前に知識が追いついてない。(そのうち2つだけは解説を読んで理解できた。)このレベルの数学が美しいと言えるのはきっと数学者あるいは高等数学に精通した人のみだろう。意味がわからない人にとっては単に記号と数字の集まりにしか見えないだろう。ファインアートが美しいといえるのも、現代美術のことがある程度分かってはじめて言えるのと同じではないだろうか・・。

解説等を読んでみると、結局のところ、美しい数学とは『難解で広大な数のカオス世界を簡潔に抽象化できている』ことであろうかと、浅学の塾講師に過ぎない我輩はそう感じ取る。それはある種、芸術作品を見たときと同じ感動と共通項があるようだ。美術にも普遍的美の追求、抽象化という命題があるので、これは数学に通ずる、と言えよう。
2015年04月20日
道草と日本語
大学生の頃、明治の文学を夢中で読んでた時期がある。
夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、泉鏡花 ・・文章が凛としている。文字の連なりが音楽的で、視覚的にも美しい。読んだ後、背筋がピンと伸びたような気になっていた。つまり文体に品格があるのだ。
漱石の『道草』の一文 「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ」 胸にドスンと来る表現だ。

日本語の特徴は漢字かな混じりにある。表音文字と象形文字で名詞 ・動詞・形容詞・副詞などそれ自体意味の有るものを漢字にして、意味のない助詞などはひらがなにする。そうすることでバランスが取れて、ずいぶん読みやすくなる。 (ひらがなや漢字ばかりの文章ほど読みにくいものはない。) さらに用途に応じてカタカナまである。しかもニュアンスによって漢字ひらがなカタカナは自由に組み替えられるのだ。表意文字である漢字ばかりの中国語や表音文字の英語に比べなんと機能的なんだろう・・・。このような表記システムを持った言語って他にあるのだろうか?それは明治期の言文一致運動によって確立されたのだろう。

明治期は口語と文語が一致しておらず、漢文や文語体と口語のハイブリットの実験過程である。それ故に言葉に対する緊張感を感じる。そして出来上がった明治期の文体には品格を備わっているのだ。
最近の日本語はもう出来上がり過ぎてたせいなのか、平板で緊張感がなく、そういう魅力が薄れてるような気もしないではない。

再び『道草』 漱石自らからの実体験を小説にしたといわれる。
「世の中に片付くなんてものは殆どない」なんて凄みのある台詞だ。
夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、泉鏡花 ・・文章が凛としている。文字の連なりが音楽的で、視覚的にも美しい。読んだ後、背筋がピンと伸びたような気になっていた。つまり文体に品格があるのだ。
漱石の『道草』の一文 「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ」 胸にドスンと来る表現だ。

日本語の特徴は漢字かな混じりにある。表音文字と象形文字で名詞 ・動詞・形容詞・副詞などそれ自体意味の有るものを漢字にして、意味のない助詞などはひらがなにする。そうすることでバランスが取れて、ずいぶん読みやすくなる。 (ひらがなや漢字ばかりの文章ほど読みにくいものはない。) さらに用途に応じてカタカナまである。しかもニュアンスによって漢字ひらがなカタカナは自由に組み替えられるのだ。表意文字である漢字ばかりの中国語や表音文字の英語に比べなんと機能的なんだろう・・・。このような表記システムを持った言語って他にあるのだろうか?それは明治期の言文一致運動によって確立されたのだろう。

明治期は口語と文語が一致しておらず、漢文や文語体と口語のハイブリットの実験過程である。それ故に言葉に対する緊張感を感じる。そして出来上がった明治期の文体には品格を備わっているのだ。
最近の日本語はもう出来上がり過ぎてたせいなのか、平板で緊張感がなく、そういう魅力が薄れてるような気もしないではない。

再び『道草』 漱石自らからの実体験を小説にしたといわれる。
「世の中に片付くなんてものは殆どない」なんて凄みのある台詞だ。
2015年04月18日
高校数学チャート式の序文
新高校生が真新しいチャート式数学を持ってきた。
以前にも書いたが、数Ⅰ・A / 数Ⅱ・B / 数Ⅲいづれのチャート式序文の文章は素晴らしい。
人生におけるたいせつなエッセンスが、うつくしい詩のように、あるいは含蓄ある対話文となって、簡潔な文章によって示されているのだ。
高校生は是非、何度も読み見返してほしい。 また大人も読んでほしい。

以前にも書いたが、数Ⅰ・A / 数Ⅱ・B / 数Ⅲいづれのチャート式序文の文章は素晴らしい。
人生におけるたいせつなエッセンスが、うつくしい詩のように、あるいは含蓄ある対話文となって、簡潔な文章によって示されているのだ。
高校生は是非、何度も読み見返してほしい。 また大人も読んでほしい。

2015年04月11日
国見台 春の散歩道:サイモンとガーファンクル聴きながら・・・
桜が散った後のひっそりした国見台公園をi-PODでサイモンとガーファンクル聴きながら、カメラ片手に歩いた。そしていろいろ考えた。

なぜ、ひとは興味あるものに関しては、多くを覚える事が出来るのだろうか?たとえば好きなアイドルやアニメ・ゲームのことは驚くほど詳しくなれる。その一方 興味がないものは覚えられないし・・強制されると、苦手意識ができ、嫌いになる。そしてますます覚えられなくなるのだ。 たとえば、英語の単語の発音がうまくできない。数学の公式が身に付かない。社会理科の用語が頭に入らない。 しまいには『もう いっちょんすかん!!』の連発・・。ウ~ム、どうすればよいのやら・・・・。
そうそう、水泳や自転車を思いだしてみよう・・・。ゆっくりゆっくり慌てずに、徐々になれて行こう。すこしづつでもできるとうれしい、うれしいと楽しくなる、楽しくなると好きになるという好循環をつくろう。脳は身体の一部。無理やりの丸暗記はNG。あせらず、でもあきらめずコツコツと慣らして慣らして・・・。無理に一生懸命覚えようと意識しないでもやればやるほど自然と脳が覚えてくれるのだ。泳ぎや自転車の乗り方はずっと身体が覚えてくれるように・・。

英語を指導している時、よく訊かれるのが『どうしたら英単語覚えたら良いですか?』 その答えは『英語が好きになればいいよ。』(そらそうだ!) では、『どうして好きになればいいのですか?』『英語に慣れ親しむことだよ。』『ではどうやって慣れ親しめば・・?)』 『おとのかたまりつまり語感リズムで覚えるように・・』『え?音のカタマリ?なに?』(ウ~ムまるで禅問答だ。)
・・・では、我輩がどのようにして英語に慣れ親しむようになったのかを、私事ながら・・・。
きっかけは我輩が中学生に入学したお祝いに、サイモンとガーファンクルのベスト曲集のカセットテープを姉に買ってもらったことだ。S&Gの奏でる美しいアコーステックギターのアルペジオの響きとふたりの繊細なハーモニー・・・。意味は分からないが、 英語の気持ちのいい言葉の響き。歌詞カードの英語の文字の並びの美しさに惹かれた。その中に日本語訳の意味さえもよくわかない内省的だけど一度聴いたら忘れられないとても美しいメロディの楽曲があった。 いつか自分で訳して理解したいとおもいました。 それが有名な『サウンド・オフ・サイレンス』。


とても不思議な歌詞だ。まるで村上春樹作品の異空間ワールドのような・・。今あらためて『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味を考えてみても、よくわからない・・。まるで夢分析だ。でも、感覚的にはわかる、とおもう。つまり、頭で理路整然とわかるものではなく、歌詞と音が一体となってつくる世界観に共感を覚えるのだ。芸術とはそういうものだ。

それはともかく、そのテープをもらって以来、事あるごとに何回もS&Gのテープが伸びてしまうまで聴きこんだ。 またいろんな洋楽を聴くようになった。そのうち歌詞が自然と頭に入ってきて覚えられるようになった。リズムのある語感で英語の歌詞のフレーズを身につけるようになったのだ。 『英語は語感=リズムで出来ている』といっても過言ではない、という考えに至りました。このような過程を得て慣用句などの英語のさまざまな表現も覚えられるようになったのだと、思います。 今、こうして英語を教えてるのも、英語を夢中で勉強で出来たのも、この体験がつながってきてるのかな? と。まあ、一個人の例に過ぎないけど・・。 テープをもらってから数十何回目の春S&Gを聴きなおしてそう考えています。
さて、余談ながら、あらためサイモンとガーファンクルの楽曲の素晴らしさに驚いています。アコーステックなミニマルな音作りなのに、音響としての立体感がある。音圧がある。環境音楽(アンビエント)として成り立っている。(今風に言えばフォークトロニカが究極にもとめている音像をS&Gは40年以上も前にコンピュータを使わずに確立していたともいえよう。) たんなる聴き心地のよいポップスではない・・・。これってあまり語れてないようだけど、革新的前衛的な偉業を成したデュオとしてもっと再評価されるべきではないかと思う次第であります。

中・高生はもうぼちぼち新学期の授業も始まってますね、もし勉強で苦手意識が出来てしまったら・・・まずは、『苦手』という心の壁をいったんリセットしよう。出来なくていいから感覚をいっぱい広げて,好奇心や遊び心をもって、とりあえずなにか自分のアンテナにひっかかることがないか、自分なりに探してみよう。
なぜ、ひとは興味あるものに関しては、多くを覚える事が出来るのだろうか?たとえば好きなアイドルやアニメ・ゲームのことは驚くほど詳しくなれる。その一方 興味がないものは覚えられないし・・強制されると、苦手意識ができ、嫌いになる。そしてますます覚えられなくなるのだ。 たとえば、英語の単語の発音がうまくできない。数学の公式が身に付かない。社会理科の用語が頭に入らない。 しまいには『もう いっちょんすかん!!』の連発・・。ウ~ム、どうすればよいのやら・・・・。

そうそう、水泳や自転車を思いだしてみよう・・・。ゆっくりゆっくり慌てずに、徐々になれて行こう。すこしづつでもできるとうれしい、うれしいと楽しくなる、楽しくなると好きになるという好循環をつくろう。脳は身体の一部。無理やりの丸暗記はNG。あせらず、でもあきらめずコツコツと慣らして慣らして・・・。無理に一生懸命覚えようと意識しないでもやればやるほど自然と脳が覚えてくれるのだ。泳ぎや自転車の乗り方はずっと身体が覚えてくれるように・・。
英語を指導している時、よく訊かれるのが『どうしたら英単語覚えたら良いですか?』 その答えは『英語が好きになればいいよ。』(そらそうだ!) では、『どうして好きになればいいのですか?』『英語に慣れ親しむことだよ。』『ではどうやって慣れ親しめば・・?)』 『おとのかたまりつまり語感リズムで覚えるように・・』『え?音のカタマリ?なに?』(ウ~ムまるで禅問答だ。)
・・・では、我輩がどのようにして英語に慣れ親しむようになったのかを、私事ながら・・・。
きっかけは我輩が中学生に入学したお祝いに、サイモンとガーファンクルのベスト曲集のカセットテープを姉に買ってもらったことだ。S&Gの奏でる美しいアコーステックギターのアルペジオの響きとふたりの繊細なハーモニー・・・。意味は分からないが、 英語の気持ちのいい言葉の響き。歌詞カードの英語の文字の並びの美しさに惹かれた。その中に日本語訳の意味さえもよくわかない内省的だけど一度聴いたら忘れられないとても美しいメロディの楽曲があった。 いつか自分で訳して理解したいとおもいました。 それが有名な『サウンド・オフ・サイレンス』。
とても不思議な歌詞だ。まるで村上春樹作品の異空間ワールドのような・・。今あらためて『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味を考えてみても、よくわからない・・。まるで夢分析だ。でも、感覚的にはわかる、とおもう。つまり、頭で理路整然とわかるものではなく、歌詞と音が一体となってつくる世界観に共感を覚えるのだ。芸術とはそういうものだ。
それはともかく、そのテープをもらって以来、事あるごとに何回もS&Gのテープが伸びてしまうまで聴きこんだ。 またいろんな洋楽を聴くようになった。そのうち歌詞が自然と頭に入ってきて覚えられるようになった。リズムのある語感で英語の歌詞のフレーズを身につけるようになったのだ。 『英語は語感=リズムで出来ている』といっても過言ではない、という考えに至りました。このような過程を得て慣用句などの英語のさまざまな表現も覚えられるようになったのだと、思います。 今、こうして英語を教えてるのも、英語を夢中で勉強で出来たのも、この体験がつながってきてるのかな? と。まあ、一個人の例に過ぎないけど・・。 テープをもらってから数十何回目の春S&Gを聴きなおしてそう考えています。
さて、余談ながら、あらためサイモンとガーファンクルの楽曲の素晴らしさに驚いています。アコーステックなミニマルな音作りなのに、音響としての立体感がある。音圧がある。環境音楽(アンビエント)として成り立っている。(今風に言えばフォークトロニカが究極にもとめている音像をS&Gは40年以上も前にコンピュータを使わずに確立していたともいえよう。) たんなる聴き心地のよいポップスではない・・・。これってあまり語れてないようだけど、革新的前衛的な偉業を成したデュオとしてもっと再評価されるべきではないかと思う次第であります。
中・高生はもうぼちぼち新学期の授業も始まってますね、もし勉強で苦手意識が出来てしまったら・・・まずは、『苦手』という心の壁をいったんリセットしよう。出来なくていいから感覚をいっぱい広げて,好奇心や遊び心をもって、とりあえずなにか自分のアンテナにひっかかることがないか、自分なりに探してみよう。

2015年04月02日
教室周辺のサクラ風景
こんばんわ。桜も満開ですね。今日は絶好のお花見日和でした。でも明日から空模様が心配です・・・。
というわけで、今日を逃してなるか!といっきゅう教室の周辺の桜をバタバタと初撮り歩きしてまいりました。
『まずは国見台公園』



この小屋のトタンいい味だしてます。

みなさんピクニック風でお花見を楽しんでいられました。
『新天町公民館とロイヤルチェスター脇の桜並木』

携帯/スマホ/カメラ それぞれ片手に桜を撮る人チラホラと・・我輩とお仲間ですな。

向うにちっちゃく見えている緑色の看板。わが小さいながらの教室です。
『いっきゅうのすぐ裏手の八天狗様』

受験合格祈願など事あるごとにお参りしており日ごろから大変お世話になっております。
今日は桜も見ごろでいい気分転換になりました。
今度はゆっくり空いた時間に落ち着いて撮りたいです。
というわけで、今日を逃してなるか!といっきゅう教室の周辺の桜をバタバタと初撮り歩きしてまいりました。
『まずは国見台公園』
この小屋のトタンいい味だしてます。
みなさんピクニック風でお花見を楽しんでいられました。
『新天町公民館とロイヤルチェスター脇の桜並木』
携帯/スマホ/カメラ それぞれ片手に桜を撮る人チラホラと・・我輩とお仲間ですな。
向うにちっちゃく見えている緑色の看板。わが小さいながらの教室です。
『いっきゅうのすぐ裏手の八天狗様』
受験合格祈願など事あるごとにお参りしており日ごろから大変お世話になっております。
今日は桜も見ごろでいい気分転換になりました。
今度はゆっくり空いた時間に落ち着いて撮りたいです。