2010年05月17日

嘘をつかない練習。

英語に”Honesty is the best policy.” 『正直は最善の策』という言葉がある一方、”White lies” 『嘘も方便』という言い方もある。これは『自分の利益というより、他人・公共の利益のことを優先して言う嘘のこと。』と言えるのではないだろうか。

たとえば、
・もらったネクタイのプレゼントの柄が、着用するのに困ってしまうようなケバケバシイ豹柄であっても、気に入っと言うこと。
・知人から見たくも無い映画を誘われたら、無いはずの用事をでっちあげること。
・つらいことがあってほんとうは泣きたいのに、周りを心配させないように、嘘をついて強がること。
・警察が行うおとり捜査。等々。

これらの嘘は一般的には正当化されるだろう・・・。

哲学者・エマニュエル・カントによれば、しかしながら、理由はどうであれ、嘘はいけないのだ。なぜとなら、普遍的倫理規範に例外は認められらないから。と昨日の『白熱ハーバード教室』のサンデル教授は話した。

そして教授は学生に問うた。『では、もし、悪い奴らに追われているあなたの友人を家にかくまっているとする。そして奴らがあなたの家を突き止める。”彼はここにいない”と彼らに嘘をつくのはどうなのか?カントはこの問いにどう答えるだろうか?

『やはり、嘘はいけない。』と言うだろう。ただ、うまい言い逃れをすることは、(相手が勝手に、友人はそこの家にいないと誤解させるように言う。)認められるのだ。カントが重要視するのは、結果ではなく過程つまり、嘘をつかない努力、正直であること、という倫理に敬意を払っている姿勢・動機がそこにあるかどうか、だと。 

これをもうすこし一般化すれば、『White lies= 嘘も方便』を一旦、認めてしまうと、『嘘はしょうがないこともある。あるいは嘘は良いことだと、堂々と嘘をつく。いや、嘘を言う自覚さえも無く、言ってないことを言ったと信じ込む、あるいはその逆・・。』という真っ赤な嘘になりうるのだ。と言っているのではないか。時と場合によっては『しどろもどろの言い訳』の方が、嘘でない以上、少なくともカント的に言えば倫理的であると言える、のだが・・・。こうなると、いろんな場面に遭遇したとき、上手に嘘をつかない練習が必要になる。


私は『嘘をつく、つかない』以上に問題にされるべきことは、それが嘘かどうかであること、言い換えれば嘘をどう定義づけるかの方でないのかと思う。悪徳商売やごくごくふつうの政治家さえもが良く使うテクニックが、拡大解釈である。あの時、私が言ったことは、そういう意味でなく、こういう意味なのだと。後になって自分の都合のいいように作り変えることだ。『詭弁』と『嘘』をカントはどう捉てるだろうか?という疑問は残った。(これは後の講義に触れられるジョンロールズの『契約』の正当性という概念につながるのかな?)
  


Posted by いっきゅう  at 14:02Comments(0)塾長のひとりごと。

2010年05月11日

職場体験+インターンシップ

市内の中学生たちが今度、職場体験をするそうですね。大人と一緒に働くことを通じて、仕事に対する責任感、充実感、苦労、喜び、おもしろさ、難しさ、など多くさんのことを学ぶことが出来たらいいですね。ガンバッテください。

ところで、今、日本の企業は新卒生に即戦力を望んでいる。と言われています。
アメリカでは昔からそうらしく、多くの大学生はインターンシッププログラム(在学中に実際企業で働き、単位を稼ぐ。)を経験して、自分の進路を決めるそうです。また採用時に、インターンシップでどんな企業で、そこでどんな評価がもらったかも、重要なアピールポイントになるそうです。さらに、インターシップで働いた企業にそのまま就職、ということも有り哉。

私の学生時代も、アルバイトからそのままそのバイト先に就職・・というケースもままありました。実際、友人のひとりはそうしました。私も大学2年生の頃、某大手旅行会社の添乗員のバイトをしていまして、うまく出来ればそのまま就職・・・という話も聞いた様な覚えがあります。ただ、ボーっとした世間知らずで根性なしだった私は、就職のことなど考えもせず、気疲れで、胃が痛いだけのそのバイトを長くは続けられませんでした。楽そうに見えた家庭教師のバイトに乗り換えたのでした。(家庭教師もそれはそれで大変でしたが・・・。)今から考えればもったいないことをしたなぁ、とおもいます。就職するかどうかは別にしても、お金もらっていろんなところ行けて、ご当地それぞれのおいしい食べ物にありつけたのは事実ですからね。タフな経験だけど大いに社会勉強になったはずです。

日本では、外資系は当然、日本の企業もどんどん、インターナショナルインターシップ(日本人ばかりではない)もしくはインターンシップ 制を採用しており、今の学生さんは、早くから学業に励むとともに興味ある分野の企業にインターンとして働き、即戦力となるため実践的経験と積んでおくことが求められているようです。私がやっていたような気楽なバイト感覚とは違いますね。学生さん、大変ですが、ガンバッテください。応援しています。
  


Posted by いっきゅう  at 12:09Comments(0)塾長のひとりごと。

2010年05月05日

端午の節句とたけくらべ

樋口一葉の『たけくらべ』(1895年1月 発表)を読んだのは遠い遠い昔のことだ。そのとき受けた感動は今でも忘れられない。リズムあるクラシカルな文体に魅了され、日本語のかな漢字混合文の素晴らしさに気づかされ、ここにほんとうに豊かな日本語がある、と感銘を受けた記憶がしっかりとある。

『たけくらべ』の舞台は廓の町、吉原。思春期の女の子と男の子たちの短い期間の成長の物語である。いずれ遊女となる水揚げまじかの美登利は勝気で自由闊達。そして美登利がひそかに恋心を抱く同じ学校の男子生徒はお寺の僧侶の息子、真如である。彼は、内気でクソ真面目の今で言うところの草食系男子。およそなにもかも正反対二人が互いに意識し合いながら、しかし、ぎこちない空気に気まずくなる。美登利は自らの運命と相手の身分の違いを分かっており、儚い恋と、心をいためる・・・。

一般に男子と女子では、女子の方が精神的成熟が早いと言われているが、うちの塾生はどうなんだろうか・・・。(まぁ、私などは同年代の女性には死ぬまで追いつけないだろうと、思っているけど・・・。) 総じて言えば、佇まい、授業態度、ものの言い方などは、やはり女子生徒が、きちんとしててずっと大人である。一方、話す内容は男子生徒は現状分析に関して鋭いことを言う、冷静である。結構、いろんなことにしっかり目を配っていたりしてるもんだな、と感心させられることもある。

男女差についてはバイオロジー的差異や社会制度の観点からいろいろ議論されている。英語の読解問題のテーマにもたまに登場する。しかし、ジェンダーフリーの観点からすれば、男子対女子の二項対立の構図でものごとを推し量るのは古い時代のステレオタイプと批判されるかもしれない・・・。

もし女性がいつか日か、国際政治勢力のマジョリティになったとすると(例:現代の政治リーダーの男女の比率がそのままひっくり返った世界。)その世界はどうなるだろうか?戦争・貧困は少なくなるのだろうか?まったく違う問題が新たに浮かび上がるだろうか?あんまり変わらないだろうか?

ああ、そうだ、今日は端午の節句、男の子の日なのだ。とにかく、男子よ、がんばれっ!




  


Posted by いっきゅう  at 12:31Comments(0)いっきゅう文庫