2020年03月29日

究極のお母さんの子育てアニメ:おおかみこどもの雨と雪

こんばんわ。もうすぐ四月。四月は旅立ちの月ですね。多くの若い人は親元を離れて新しい暮らしを始める季節です。吾輩は子育ての経験はありませんが、子離れ親ばれの瞬間というものがあれば、それはとても寂しくもあり、同時に喜ばしいことでもありますね。ある種の動物の親子の間でもあるように、子離れ親ばれは子供の自立のためにもいつかは経験しなければいけないものなのですね。

さて、本題「おおかみこどもの雨と雪」は花さんという若いお母さんの子育てドラマです。やさしいやさしい映画です。アニメーションの画もサントラも音楽も子守唄のようなふわふわ綿毛のような音楽です。観はじめのほんの2、3分で確信しましたよ。これは傑作だ!!と。

ここからネタバレです。肝心なところは書きませんが。(予備知識なしで観られたい方は読まないでくださいでもこの映画は是非とも観てくださいね。絶対おススメです!happy02

花さんに子供はふたりいます。雪(姉)と雨(弟)という名前です。実はこのふたり、おおかみ人間との間にできたおおかみ子供なんです。おおかみ人間はこのアニメの世界では種族として生き残っていたのです。彼らのうち人間の姿で人間社会に密かに生活しているものがいる。花さんはおおかみ男と大学で知り合って恋に落ち子供をふたり授かりました。普通の若夫婦の普通の幸せな生活。ですが、まもなく、夫のおおかみ人間はふらっと夜出て行って、翌朝、川底におおかみの姿で死んでしまったのです。(なぜ死んだのか、少し謎なんです。おおかみの本能と人間の父親として生活していくことに無理があったのでしょうか・・)

花さんは最愛の夫を亡くした哀しみに暮れる暇がありません。花さんの子育て奮戦記の始まりです。何といってもふたりはおおかみこども。興奮するとおおかみになって走り回わらずにいられない。ものを食べるときもおおかみなんです。たくさんたべます。収入も若いお母さんひとりでやりくりして、おおかみこどもふたりを育てなければならない。しかも世間に、おおかみこどもであることが知られてはばれてはいけません。もし、知られたら人間の世界に居場所をなくすかもしれないからです。

都会での生活あきらめて、田舎のさらに辺鄙な古い民家を借り、自活する道を選びます。畑を作物をつくって、子供たちと一緒に野山で自由に生きる道をしかし、農作業が簡単にできるはずもありません。里の人々はまた都会もんの道楽がやってきた。「じき農業をあきらめて帰るがオチ」と陰口をたたきます。案の定、畑づくりはうまくいきません。そこに頑固もののじいさんが、花さんの様子見に来るようになります。気難しい爺さんは憎まれ口をたたきながら、農業を少しづつ教えていきます。花さんはどんなときでも笑顔で、一生懸命です。ここは「世界の片隅で」のすずさんとおなじで女性のたくましく生きる力を感じます。自分のまったく知らないところで、なんの力もなく、知り合いもいない。でも生きなければいけない。そのような状況でなんとか必死にニコニコしながらも(死に物狂いの笑顔。)自分の居場所をみつけだします。(ここが火垂るの墓の清太が決定的に欠落してたところです。)いつのまにか花さんの民家に村人も集まってきていろんなものを持って助けてくれます。ただ、花さんが作った畑にはイノシシなのど被害が出ないのが不思議におもいます。(そりゃ、おおかみ人間がいますからね。)

やがて子供たちは大きくなり、長女の雪は学校に通います。弟の雨は内向的で甘えん坊でいつもお母さんのそばにいます。陽気で活発な雪は学校で、圧倒的運動能力もあって友達ともうまくやっていきます。そこに転校生の草平がやってきます。勝気な草太は雪に面と向かってなんか「けものくさい」と言ってしまいます。雪は深く傷つきます。以来、雪はその転校生を避けるようになります。気になる転校生は追いかけてなぜ避ける?と問い詰めます。すると興奮した雪はおおかみとなって、草太を傷つけてしまうのです。草太は血を流し気を失います。学校でちょっとした問題になりますが、草平はよくわからんけどオオカミが現れてやられたんだといって雪を庇います。雪はそのことで学校に行けなくなったのですが、雪の家に学校のお知らせなどを届けに行きます。そして二人は仲良くなります。お互い好意を持ち始めます。

時がたち、雨もたくましいおおかみ男子になっています。(お父さんに似たイケメンです。)雨は馴染めない学校に行かなくなり、山に行くようになります。山には獣を支配する老キツネがおり雨は老キツネの弟子入りをするのです。

ふたりは生き方の違いをめぐって、(人間としてか、おおかみとしていきるか?」)大げんかをします。正におおかみ同志の大喧嘩です。牙を剥き、爪を立てて。こうなったら花さんはどうすることもできません。噛みつき、爪で殴り合い、血を流して争います。しかし本当の喧嘩の原因は、生まれながらにして「おおかみ人間」として生まれてきたこと。それを隠して生きなければいけないことへの怒りが爆発しているようにも見えます。

ある日、大雨が降ります。花さんは雪を学校に迎えにいこうとしますが、ふと、雨がいないことの気が付きます。すぐ花さんは気が付きます。彼は山に行ったことを・・。そして花さんは山の奥へ奥へと雨を探します。彼女は雨は山を選んだこと、おおかみとして生きていくことをすでに気が付いていますが、人間の母として受け入れ難いのです。息子を助けに行くというよりむしろなんとか人間として自分の元に取り戻したかったのでしょう土砂降りの中どこまでもどこまでも山奥へと登っていく花さん・・。ここでふと気になるのが、雪のナレーションが過去形であること。母のことを過去形でかたっていることです・・。このまま花さんは死んじゃうの?ついに花さんは崖から滑落ちます。そして・・・花さんの意識の中、彼女を迎えに来たのがあのおおかみ人間です・・。じゃ花さんは死んじゃったの・・?いや、これ以上のネタバレは止めときます。

一方、大雨の中、親が迎えの来ないで学校内に二人っきりとりのこされた雪と草太。親密な二人。雪は草太に告白します、自分がおおかみ人間であることを。そしておおかみの姿に変身してみせます。(取り様によってはホラー映画ですね。surprise)そして草太は・・・いや、ここも止めときます。一番いいところはネタバレさせてはいけません。confidentで、この映画結末どうなん?いやいや言えませんよ。でも心から「花おかあさん。ホントにご苦労様でしたぁ。」と言いたくなりますよ。

ではまた~。



監督 細田守
脚本 奥寺佐渡子
細田守
原作 細田守
出演者 宮崎あおい 大沢たかお
音楽 高木正勝
主題歌 アン・サリー
「おかあさんの唄」
公開 2012年7月21日



追記:この作品はスタジオジブリ作品ではないです。ただ監督の細田守さんはあのジブリの「ハウルの動く城」を監督を途中までやっていたそうです。でも、うまくいかなかった・・。これって「この世界の~」監督 片渕 須直さんが、「魔女の宅急便」を途中降板させられたことにかさなりますね。いやいや、やっぱり才能あるひとはジブリとの関係・因縁抜きには語れませんね。smile



CMです。ワードでいっきゅうのへたくそチラシ(新聞折込未定)作ってみました。



よろしくです。happy02  


2020年03月14日

「耳をすませば」受験と恋と自分探し

こんばんわ。ついに佐賀県にもコロナ感染者がでて来週再開予定の県内の休校期間がのびてしまいました。まあ、しょーがないですかね?disease いっきゅうはとりあえずいつもどうりやっています。と言いますか春季講座前倒しです。高校・中学準備講座もやっています。理由は前回書いた通りです。でも地域の感染の拡がりを注視しながら、休講も視野に入れつつではありますが・・。


さて、受験期なかなか投稿できなかったので、書きたいこと溜まっています。またいろいろ好き勝手に書いてみようと思います。とりあえず佐賀ファンブログということで、ご当地ネタ。というわけで、地元図書館から借りた映画や本の紹介ですかね。(まあ、これしか無いのですがdespair )武雄図書館も借りられるそうなので、足を延ばそうかな?で今回は、ジブリ(やっぱりまたか・・)の「耳をすませば」紹介です。去年借りてみたのでおもいだしつつ・・・。


柊あおいの少女漫画が原作
スタジオジブリ 近藤喜文監督作品
1995年7月15日封切り


14歳女子中学生の”恋に受験に自分探し””の胸キュンアニメです。中学校の頃の恋はなんかぎこちないし恥ずかしいし、めったに成就するもんじゃないですよね? さすが少女漫画見事に屈託なく成就させてしまってます。happy02

まあ、中学生のたわいもない恋愛ストーリーなんですが、何がすごいって、日本一いや世界一のアニメスタジオのNO1の描き手だった近藤喜文の
唯一無二の渾身の作品なんです!時代背景は1990年代の東京都、多摩市・日野市・武蔵野市などにニュータウン。当時の時代風景が詳細に描かれています。雫が電車に乗ったり、走り回ったり、自転車で相乗りする街角は、本物の映像よりリアルな感じがします。ああ・・こんな街たしかにあるよな~。主人公の雫の公団住宅の間取り日常品の細部まで、生活感活き活き描きこまれております。

監督の近藤喜文は作画の天才で「火垂るの墓」「となりのトトロ」制作時、高畑勲と宮崎駿の2大巨人から、近藤喜文さんを取り合いなった話は有名です。両巨匠どちちらも近藤氏がいないと、制作をやめる!といいだしたらしい。結局、困った鈴木敏夫プロデューサーが、「宮さんあなたは絵が描けるから、高畑さんのところでやってもうらうしかない。」といって説得したらしいけど、宮崎駿はずっとそのことを根に持ってたらしい。(近藤さんは残念なことに47歳の若さで急逝された。「火垂るの墓」はアニメ史上最も美しい作品だと吾輩は思います。(「火垂るの墓」作品については、いつかブログに書くつもりです。)その葬儀の追悼の言葉で宮崎さんは「トトロVS火垂る 近藤争奪戦」の恨み節をぶちまけたらししい。(笑)いやでも実にいい話ですよね。あの天下の宮崎駿に・・・ね?こんな名誉なことはないですよね。


ここからちょっとだけネタばれです。
主人公の月島雫は本が大好き。図書館からたくさん本を借りて読んでいます。ひとつ気なることが・・借りた本の図書カードにいつも天沢聖司という名前があるのです。どういうひとなんだろう?といろいろ想像してみます。で、その人が同じ中学の同級生でああることが判明します。しかもイケメンでちょっと意地悪。(いかにも少女漫画) お互い意識しながらぎこちないながらも、しだいに仲良くなり交際をはじめます。二人は受験や将来のことをはなします。彼は受験せずバイオリン職人になるために、イタリアに修行にいくのだといいます。それを聞いた雫は自分には何もない、と、落ち込みます。しっかりとした彼氏に自分は釣り合わない!と自分探しをはじめちゃいます。で、自分が一番好きなことである物語を書きたいと、小説を書き始めるのです。受験期真っただ中に。当然成績は急落。当然、家族が心配します。何やってんの?!家族会議です。でも、雫は、受験も頑張る約束で必死で小説を書きあげます。(できたのがあの『猫の恩返し』にそっくりでなんです。)なんだかんだあって、エンディングなのですが、恥ずかしいくらいのハッピーエンドでなのです。ただ、この好感度抜群のさわやかイケメンは、あの図書カードは雫の気を引く作戦だったことを話してしまうのです!(ユーミンの歌の「まちぶせ」の男バージョンか!)。あれ~と、見るものはちょっとがっかりさせられます。プロポーズしておきながら、こんなこと話してしまうあたりなんて野暮な・・・。でもしばらくして、はやり聖司は正直者でいいやつだとおもいました。

さて、なんと「耳をすませば」の実写版、あれから10年後が撮られるそうです!! ですが、熱狂的な「耳すま」ファン(ジブリでこれが一番好き!という人が少なくない。)はやめてくれ~とぼやいてるようです。吾輩もそうおいもうます。なんて野暮なことを!と。

では、また~。wink

  


2019年11月10日

サントラ「思い出のマーニー」と秋の都川内ダム湖畔散策

お天気のいい日曜日の昼下がり、都川内ダム湖の周りを歩きました。(久しぶりにカメラを片手に。)散歩のお伴はi-POD playlist 前回ブログで紹介した映画「思い出のマーニー」のオリジナルサウンドトラック。村松崇継作品。このサウンドトラックは言葉では言い尽くせない傑作です。映画本編のあの独特のうつくしく静謐で不可思議な雰囲気は、アニメ―ション作画はもちろんですが、この素晴らし音楽によるものであるといってもいいでしょう。



秋の都川内ダム湖畔の散策はその「思い出のマーニー」のサントラをBGMにした「映像作品」をみるようです。沿道の緑の樹木から零れ落ちる陽光の粒は、エコーの効いた電子ピアノの音の粒立ちのようで、エメラルド色の湖面にそよぐ波紋はバックグランドのゆったりとしたうつくしいストリングスのようです。



ダム湖畔に浮かぶ小島のような岬に古い屋敷でもあれば、まさにマーニーの世界のようです。月夜の晩、湖面に小船を漕ぎ出してこのサウンドトラックを流したらどんなに素晴らしいだろうなぁ・・サントラ収録曲の「杏奈」がピアノで弾けるようになったらどんなに楽しいだろうなぁ・・。このダム湖でジブリの背景画ような水彩画を描けたらなぁ・・などと、夢うつつ、うっとりした気持ちになってサンウドトラック二枚組全曲聴きながら二周歩きました。さぁ、もう一周・・と思いもましたが用心のためやめときました(笑)





数は多くはないですが冬の渡り鳥の姿もちらほら見かけましたよ。でも、手持の安物コンデジでは上手くは写せません。sad



楽曲「マーニー」
  


2019年11月03日

魔女の宅急便に学ぶ処世術

先日のニュースで大学入試にための民間英語試験採用は延期になりました。
民間英語試験の採用を決定する過程で手続き上、不透明なところ、不備が多くあったようで致し方ないところかもしれません。延期のきっかけとなった萩生田文部大臣の「身の丈」発言は酷いものでした。もし文部大臣採用面接試験があったら不合格発言ですね。しかし、新しい試みとして英語の「読む+聞く」にプラス「話す+書く」力を試そうという、本来の目的が、この件で失われるとしたら、残念なことでもあります。sad

さて、今日は英検の面接試験でした。英検と言えば来年度よりスピーキングはパソコン画面に向かって話すシステムになり、従来の面接官による、直接の対話型でなくなります。より客観的に、効率的になるのはわかりますが、なんかさみしいです。吾輩は塾の授業は直接対話型にこだわっていまます。ネットで外部の講師を頼った授業はしないぞ!というポリシーでやっています。ネットを通してだと、塾生とのやり取りで何かこぼれ落ちてしまうものがあるようで・・直接面談型のぬくもりというか、手作り感を大切にしたい。比較はできませんんが、ジブリなど日本のアニメが手書きにこだわり続けているようなものと勝手に思ってます。(ディズニーアニメのようにCGでやるのが経済的で効率的なのでしょうが・・) 

また、この時期は、あちこちの大学の推薦指定校推薦試験やAO試験行われます。(うれしいことに、いっきゅうに、さっそくいい知らせが入って来ました!!国立大smile)その多くの場合、面接試験があります。面接試験は、自分自身をいかに売り込むか、意欲や適正をアピールする機会といってもいいでしょう。発言の内容は公的なものと意識しなければなりません。問われたこと対して、友人や家族と話すような私的なものとは区別しなければなりません。バランスが取れたものであり、かつ、説得力(論理的)であるものでなければいけません。「合格するような受け答えをする」これを本意でないと感じる人(ワイはどんな時でも本音トークで行くぜ!みたいな。impact)によってはズルイと感じるかもしれません。が、面接試験に生き残るためにはある意味、処世術が必要であります。社会に出ればこの処世術がとても大事なことだと我輩は考えます。本番までしっかりいい準備+練習をしときましょう!wink

さて、本題の「魔女の宅急便」です。大学や企業は主人公のキキのように自立心があり、独創的でいろんな人とうまく関係を作れる人材に来て欲しいとおもうはずです。また学生だけでなく、社会人、我輩のような自営業者も学ぶことが多いのが魔女の宅急便です。


『魔女の宅急便』
監督:宮崎駿
原作:角野栄子
音楽:久石譲
1989年公開
*ココからネタバレあります。

魔女の世界の掟により、正式に魔女になるには13歳の満月の夜に、魔女のいない街で、自力で生活して修行しなけれならない。主人公のキキもたった一人(黒猫のジジが相棒)で、ほうきに乗って海にかこまれたヨーロッパ風のコリコ町に辿り着く。時代は19世紀後半から20世紀前半ぐらい?時代と街の設定はいろいろ混ぜあわせたらしいです。モデルも実在の少女(鈴木プロヂューサーの娘さん)です。その街の人々の魔女がいることを、気にしますが、ただそれだけでそっけない。知人もない街でただ一人不安でいっぱい。でも、キキがやったちょっとした親切が縁で、「グーチョキパン屋」に居候することになる。

キキはどうやって自活するか考える。下宿させてもらうかわりに、パン屋のお店を手伝う。そして、自分の特徴である箒を使って空を飛ぶ能力を使って宅急便をすることを思いつく。パン屋さんの好意で仕事を紹介してもらい、一生懸命、誠実に取り組み、彼女の人柄もあって徐々に口コミで仕事が増え、常連さんも増えていく。彼女はいつのまに自分の特徴を活かし、人脈を広げていくという処世術を実践しているのだ。そのうち、トンボ少年や森の絵描きのお姉さんなど友達も出来る。しかし、急に空をうまく飛ぶことが出来なくなる。これでは仕事にならない。話し相手だった黒猫のジジの言葉も分からなくなる。(ジジは恋に夢中です。)キキは魔法の力を失っていく・・。楽しみにしていたトンボから誘われていた飛行クラブのパーティ もいけなくなります。そして彼女は自分の存在価値がなくなってしまいそうで、ひどく落ち込みます。

その理由については、映画でははっきり説明がありません。我輩はスランプなんんだろう。と考えました。誰だって調子がいい時も悪い時もあるものですから。スランプになった大きな理由のひとつは嫌なことがありました。お客さんである、老婦人が孫娘ートンボノ友だちのひとりでもある)への誕生日プレゼント(ニシンのパイ:キキも一緒につくった)を雨の中、苦労して届けると、パーティの真っ最中。届け先のその娘は(キキと同じ年頃)、こんなのキライと言い放つのでした。キキはとても傷つき落ち込みます。

考えられるほかの理由としてなるほどと思ったのは(外国人の動画のジブリ映画の英語レビューで知りました。)①トンボ少年への恋心が魔力を弱めさせた。②13歳の少女キキは初潮を迎えたから魔法に力が衰えた。の2点です。①の恋については、トンボが決してイケンメン男子ではない(いい奴ですが(笑))こともあって、明らかにキキの恋心を表してるシーンはないとおもうのですが。ただ将来のキキの夫というのはとても自然のながれなので、気持ちのどこか奥底に芽生えていたのか知れない。きっと映画の終わったあとに恋愛に発達していくのでしょう。そんな余韻を持たせるエンディングでもありました。②についてはジブリの映画では思春期のヒロインが変化していく様をさりげなく描いているらしいので大いにありうるかもしれません。

答えのヒントとして宮崎監督インタビューで、思春期には自分で自分が分からなくなるような時期・・それに対する励ましを映画に込めたとおっしゃています。

そうこうしているうちに大事件が起こる。飛行機好きの友達のトンボの乗った飛行船のアクシデントで、時計台に宙ぶらりんぶら下がったままのトンボ。落ちたら命はない。それを見た街中の人々、テレビの生中継で大騒ぎ!そんな中、キキは彼を助けるために、全身全霊のでを振り絞る様に必死にもがくことで、飛ぶ力を取り戻し九死のトンボを助ける。ここで映画は終わる・・。

終わり方がなんとも唐突な感じがします。あまりに楽しい映画でもっともっと見たい気持ちも働いたのかもしれません・・もともと中篇映画になる予定が100分の長編になったわけで、現実的にはこれ以上の尺は出来なかったのかもしれません。(原作はどうなっていくのかな?原作は6巻あるそうです。35歳までの話だそうです。)というわけで、魔女宅の続編をずっ~と待っている次第です。「思い出のマーニー」の米林宏昌監督(スタジオポノック)による『メアリと魔女の花』がある意味、続編の位置づけなのでしょうか?見てないのでわかりませんが・・(村松崇継氏による音楽はすばらしい。)少なくとも原作では「メアリ」のほうがずとと古い話らしい。いつか見ようっと!

最後にキキは魔法の力はよみがえりました。でも、本当の彼女の力は「チャーミングさと心優しさ、そして一生懸命さ」ではないでしょうか?それが結果として処世術となって、彼女自身はもちろん皆を幸せにしているのだろうと思う次第です。happy01



最後になりましたが、久石譲による音楽がすばらしいです。「海の見える街」「旅たち」「空飛ぶ宅急便」をはじめサウンドトラックのどれもがそれぞれがいつまでも色あせないうつくしいスタンダード曲になっています。

  
タグ :魔女宅


2019年10月27日

「私は猫ストーカー」

スラマッパギー!!

早いものでもうおくんちの時期ですね。(伊高3年生は土日模擬試験ですが。despair
最近、寒暖の差が激しくて、風邪をひいてしまった塾生が多いです。我輩もちょっぴり風邪気味です。wobbly


さて、「私は猫ストーカー」 
伊万里市民図書館でDVDを借りるきっかけになった映画。3年ぐらい前になるかな?なにげに、DVDコーナーの棚を見ていたらこの題名に釣られて、ダメもとで借りたら、あったり~~!smile 以来、時々、伊万里市民図書館から映画を借りるようになりました。ああ・・ずいぶん観てきたなぁ~


「私は猫ストーカー」
監督:鈴木卓爾
脚本:黒沢久子
原作:浅生ハルミン
主演:星野真里
音楽:蓮実重臣
2009年公開

ストーリーは単純です。(ネタバレ禁止するようなサスペンスな映画ではないで~す(笑)

主人公ハル(星野真里)は 東京の下町のアパートに一人暮らしの若い女性。一応若手イラストレーター。古本屋バイトしている。近所で(谷中・根津界隈 いい雰囲気のレトロな家並みです。)猫を見つけると人目も気にせずカメラ片手に夢中で追い回してしまう、というちょっぴり変わった年頃の女性の日常を描いた映画。ある日、バイト先の古本屋の猫が失踪して、大騒ぎする。と、どーでもいいようなを事件があったり・・全体にゆる~い感じだけど、ちょっぴりホロっとさせるところがあったりして・・。小さなシアワセって何だっけ?みたいな・・まあ、実に可愛いらしい映画です。古くて小さな場末の映画館で観たい映画です。happy02




当時、我輩も写真にハマッて、ハルのように猫を見つけたら、猫ストーカーやってましたね~。(しみじみ笑)



佐賀市内の裏路地で撮りました。

では、スラマッティンガル~ confident

  


2019年09月22日

『思い出のマーニー』ネタバレ注意

今日はあいにくの天気模様ですが、今の時期は月が綺麗ですね。塾が終わった日は月を見上げながら家路についています。月が印象的だったといえば前回ブログに書いた「かぐや姫の物語」そして、おなじジブリの映画から「思い出のマーニー」が想い出されます。

『思い出のマーニー』
原題:When Marnie Was Thereイギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品。スタジオジブリ制作・米林宏昌監督 2014年7月19日公開 第88回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされている

ジブリの二大看板 宮崎駿・高畑勲の名前はどこにもクレジットされてない。「風立ちぬ」を最後に宮崎駿引退後、次のジブリを担う、若手のエースによって製作された。しかし、この作品がスタジオジブリの最後の長編映画となってしまいました。

手書きテイストの作画は今までジブリ作品と同様いやそれ以上に息を呑むようにすばらしい。物語の筋など追わずに、風景や人の動きを観ているだけで十分に楽しめる映画です。碧い夜空と月明かり、入り江の水の動き。風のそよぎ、ぼんやりとした真珠色の雲など、すべてが 複雑で繊細で主人公杏奈彼女の心象を描いているようです。とくに印象的なのは月明かりに照らされた碧い入り江をふたりの主人公の少女が小船で漕いでいく場面です。静寂と孤独感に満ちている場面は忘れられません。それもそのはず、監督の米林氏はエリート集団ジブリにあっても最高級の描手であったそうです。『借りぐらしのアリエッティ』が監督デビュー作(脚本は宮崎駿)

とても不思議な映画です。観る者は途中、あれ?なんだ?なんだ?よくわからんぞ?と戸惑ってしまうでしょう。しかし最後まで観るとああそうだったのか!と納得感も得られるような一流の心理サスペンスになっております。と、同時に観終わった後、いろんな角度から再解釈できる多層構造の物語となっています。

*ネタばれ注意報!Spoiler alert!!

さて、ここからは大まかなストーリーに触れていきます。肝心要なところは、触れないようにしますが、まったくの白紙の状態で、いつかご覧になられたい方はここらは読まれないことをおススメします。

主人公、杏奈(あんな)は孤独な中学1年生。容姿は日本人ですが、髪はほんのり茶色の癖っ毛、青みがかった瞳。両親を亡くし養子として引き取られ育てられています。(彼女の出生と生い立ちがこの物語の大きな鍵ですが、最後の最後までなかなか明かされません。彼女の出生と生い立ちの秘密はネタバレ禁止事項とします。)育ての母は彼女なりに一生懸命杏奈のことを思っていますが、そのお母さんに対して、わずらわしく思い「おばさん」と呼んで態度もよしよそしい。いつもひとりで硬く心を閉ざし、周りから接触も疎ましく思い拒んでいます。絵を描くことで心のバランスを保っているようです。喘息も患っており学校でも孤立していることを心配した、育ての母とかかりつけの医者は、夏休みの間、空気の綺麗な親戚の家にしばらく静養することをすすめ、杏奈は釧路地方にしばらく滞在することになります。

静養先のおじさん、おばさんは気さくで、田舎の風景はとてもうつくしく描かれています。杏奈はスケッチを描く場所を探していると湿原の入り江の向こうに古い洋館を見つけます。以前、何処かで見たことのあるような感覚になります。湿原を歩いてわたって近づくと、廃墟となって誰も住んでいる様子はないです。いつのまに湿原の水はまし、あたりは入り江になっていました。七夕祭りの日、神社の境内で、良かれと新しい友達として紹介された親切だけどすこしおせっかい女の子に対して、ひどい言葉でののしり、傷つけます。しかし、その言葉はそのまま杏奈自身にも突き刺さり「自分のことが嫌い!」と嗚咽しながら自らをののしります。そのまま屋敷のある入江に向かいます。ほとりに小舟があります。杏奈は小舟に乗ってあの屋敷に向かいます。誰も見いないはずの屋敷に明かりが灯りました、杏奈が来るのを待ってたかのよう・・。金髪の青い目をした同じくらいの年頃の少女が屋敷から駆け下りてきて彼女を迎えます。少女はとても美しく朗らかです。その少女がマーニーです。杏奈はマーニーと不思議な感覚をおちいります。杏奈には珍しく初めての出会った娘とすぐに仲良くなります。それから、毎日にように、マーニーが待っているお屋敷に出かけて遊んだり心を打ち明けてお互い自分ことを話します。このお屋敷のお嬢様であるマーニーは外出ばかりする両親に子育てを事実上放棄され、いじわるな侍従とともの屋敷の閉じ込められた孤独な女の子であることを知ります。

ここでわたしたち観るものは、このブロンドの美少女マーニーって何者?とおもうはずです。実際杏奈もそうでした。「あなた人間?夢に観たひとにそっくり」ともいいます。マーニーは微笑んで杏奈の手を取って「夢じゃないわ。私たち秘密。永遠の秘密よ」といいます。しかしなぜかマーニーが現れない日があります。杏奈はうすうす知っています。マーニーは自分つくりだした幻想であることを。また私たち観る側もきっとそう思うでしょう。杏奈は想像の友達に会いに行って手を取り合い、お屋敷の舞踏会でおどったり 森で遊んだりしている、と。もし、これらが杏奈の作りだした幻想なら杏奈はかなり精神的に重症ではないでしょうか?杏奈が言う内側地とか外側とかじゃない、あっち側のマーニーの世界に行っちゃって帰らなくなるかもしれないと・・。

しかしマーニーは実在していたのです!!この屋敷がリフォームされることになり、そこの住人になる女の子に出会います。メガネの好奇心たっぷり女の子はマーニー日記を屋敷で見つけ出します。では、マーニーが幻想じゃないとしたら?何者でしょうか? (ここからは我輩の解釈です。映画ではなんの説明もありません。)二通りの解釈ができます。一つはガーディアンエンジェル、つまり杏奈の守護霊。孤独な彼女を見かねて救済に現れのだ、と。見終わったとき、マーニーと杏奈の関係を知り、そう思っていました。しかし、どうもそれでは、マーニーの言動・立ち振る舞いが不自然です。そこでもう一つの解釈、マーニーはお屋敷に獲りついた幽霊とすれば説明がつきます。しかし、怖い幽霊はなのではなく、昔この屋敷の閉じこもったまま時間の止まった世間知らずの無邪気なお嬢様の幽霊です。証言者もいます。いつも丘の上でお屋敷のスケッチを描いた女性が「あなたもマーニーにあったのね」と杏奈に言うのです。また、口数のすくない、釣り人もマーニーに出会ったことがあるとおもわれます。マーニーは自分と似て孤独の陰のある人のまえに姿を現すのではないでしょうか?たまたま杏奈もそのひとりだったのですが、ただ彼女が自分とよく似ていて、友情以上の何かを感じます。そう、お互いなにかただならぬ運命的関係を感じています。

「私とあなただけの永久の秘密。」と手を取り合い、抱き合うふたりの少女。ふたりは怪しい・・。女子同士の恋愛??ここは観た人の意見が分かれるところです。年頃のとても仲良しの女の子同士って擬似恋愛関係になり得るのでしょうか・・でも、その境界線はあいまいなものなものかもしれません・・。吾輩は杏奈の片想いじゃないかと考えます・・。そう思わせるシーンがいくつかあります。まず杏奈がボートをぎこちなく漕いでお屋敷に近づこうとしたとき真正面からマーニーがまるでミュージカルの主役のように芝居がかったように現れます。岸に激しくぶつかり揺れるボートから必死に岸にしがみつく杏奈に助けの手を差し伸べることなく、悠然と月明かりに照らされて夜風にブロンドの髪を揺らして立ち、おもわせぶりに微笑むのです。後ろに手を組んで上から目線で「だいじょうぶ?」と。そこからマーニーは杏奈を誘惑するように遊び感覚で取り付憑くのです。「おもしろそうな女の子が来たわ」といたずら心がわいてきたのでしょう・・。マーニーは自分自身の魅力を知っています。彼女に出合った誰もがその魅力に夢中になるのを・・・。マーニーは杏奈の肩を抱いたり、髪に花びらをさしたり・・・杏奈はとまどいつつ次第にマーニーに恋心を抱いてしまうのです。それは杏奈のマーニーを見る表情を見ればよく分かります。心を閉ざしてきた杏奈にとって初恋じゃないでしょうか?だから、自分の気持ちもうまく整理できなできないままマーニーに惹かれていくのです。無邪気なマーニーはそんなウブな杏奈をもてあそんだ罪作りな幽霊ちゃんなのです。(守護霊ならこんなことは決してしないでしょう。)で、マーニーもどんどん杏奈のことが大好きになります。杏奈とは違う意味で・・・。

ある夜、地元では幽霊が出るといわれているサイロに杏奈とマーニーは出かけます。そこはかつてマーニーがいじわるな侍従に無理やり連れて行かれたところです。マーニーにとってトラウマになった場所です。気味の悪い雰囲気のサイロの上に上っていくふたりに嵐が襲います。雷が激しくなり、恐怖で震えるマーニーを杏奈が抱きしめます。しかし、マーニーの前に現れたのは彼女のフィアンセの男の子(将来の夫)であり、マーニーは杏奈を置いて彼と伴に消え去ります・・。とても不思議で、よくわからない場面です。(そのせいで杏奈は死にそうになるのですが・・。)

別れの時がきます。杏奈は怒っています。サイロでなぜマーニーは自分を置いていなくなったのか?何故裏切ったのか?と問い詰めます。マーニーは硬く閉じられた二重窓を開けて「あなたが好き!」と叫びながら、「許して!」と許しを請います。まるで痴話げんかです。さらにマーニーは言います。あのサイロで恐怖のどん底のとき、傍いたのは杏奈ではない、と。(いたのはフィアンセでした。)そう、杏奈は失恋したのです。でも、杏奈は大声で「許してあげる!」といいます。そして「あなたが好きよ!」といいます(杏奈の心の窓を全開)。ここで、杏奈は「許すこと」経験・学習しました。それを聞いたマーニーは「永久に忘れない」といいながら杏奈の前から、そしてこのお屋敷から消えていきました・・。


杏奈はこの釧路の土地で心が開いていきます。気さくで優しい叔父さんと叔母さん。友人もできます。(お屋敷をスケッチする女性。無口な釣り人。眼鏡の少女。)自然うつくしく豊かおいしい食べ物・・そしてマーニーとの出会いと別れ・・。休暇もおわりに近づき、育てのおかあさんが迎えに来ます。母親は杏奈には知られたくない家庭の事情を告白します。しかし、杏奈はその秘密をすでに知って傷ついていました。しかし、それを聞いた杏奈は彼女のことをおばさんじゃなく、「おかあさん」と呼びます。(涙)ここで心を開いて許すことができたのです。そして、おかさんから、あの屋敷の古い写真を見せられ、彼女の出生の秘密が明らかになります。そこで初めて、杏奈はマーニーが誰なのか知ることになります。杏奈の存在の源流にマーニーがいたのだったのです!!(これ以上はネタバレ禁止事項ですので、書けません。)ここで冒頭のセリフ「この世には目に見えない魔法の輪がある」が思い出されます。

エンディングがまたすばらしい。出だしの冷たく無表情な始まりと対照的に、なんともいえない多幸感に包まれれます。プリシラ・アーンの主題歌Fine on the Outsideのイントロにのって、心を開き成長した杏奈がこの避暑地で出会った人たちひとりひとりに、さようならの挨拶をしていくシーン。ひどい言葉を投げかけた相手にも謝罪をし、許してもらえます。罪と罰、謝罪と許し、救済の循環の物語です。我輩の頬にいつのまに涙が、まるで雨の降りだしように、最初はポロリポリとやがて土砂降りとなってとめどなく流れだしました。


この映画に関する動画への世界中からのコメントが泣かせます。(英語と日本語のコメントしか理解できませんが)学校・会社・家族。社会・・周りとうまく折り合ってないひと、疎外感を感じている人たち杏奈に自己投影しています。たぶんこの映画はジブリ映画の中では一般的人気度でいえば地味な部類でしょう。ナウシカやサンやキキのようなスーパーキャラクター女の子やアシタカやハク、ハウル、パズーのようなスーパーヒーローは出てきません。魔法も大活劇もありません。すこしわかりづらくて、好き嫌いが分かれる映画かもしれません。でも、この映画が好きな人のこの映画に対する思い入れの深さは測りしれないものなのでしょう。もちろん我輩も「思い出のマーニー 大好きです。永久に。」happy02

最後の疑問点、マーニーは杏奈との運命的関係性を知り得たのでしょうか?いや最後まで知らなかったのではないでしょうか。彼女は少女のまま時が止まっていてお屋敷から出ることが出来ないさまよえる魂なのです。自分とよく似た杏奈と出会うことで自らの孤独を癒し、運命的に彼女を孤独な少女にさせてしまったことと(ネタばれ禁止事項)サイロでのシーンが重なり合い、杏奈から許しを得ることで成仏(=屋敷から解放され、フィアンセの元へいく。)できたのではないでしょうか?


と、ここまで我輩の勝手な解釈です。異論のある方もいらっしゃると思います。この作品は人によっていろんな解釈できるよう伏線や裏設定が、意図的にあえてあいまいに作られているようです。観終わって一週間ほど経ちますが、いまだに、まるでおもわせぶりのマーニーに惑わされている感覚に陥っております。まだ1回しか観てないので読み間違いしているかもしれません。いずれまた観直してみたいと思う映画です。





随分長くなりました。台風の日曜日、半日かけて書いてしまいました。rain ここまで読んでくださり、ありがとうございます。またいつか。confident  


2019年08月31日

ハイジとかぐや姫

夏休みももうおわりですね。昨日は「天空の城 ラピュタ」がテレビ放映されました。塾から帰ってなんとかあの「バルス!」シーンを見ることはできました。(観るのは5回目ぐらいかな?)

我輩、この夏つい最近までなぜか「アルプスの少女ハイジ」を動画にハマッてしまいました。happy02 寝る前、動画サイトで毎晩、数話づつ、全52エピソードまで観ていました。観るたびに心が洗われるようでじわじわ感動してました。いろんな国の言語のサイトも有り、子供のときリアルタイムで見ていたアニメが世界中で愛されていることが分かりうれしくなりました。今、歳を重ねて見直すとそのクオリティの高さに驚いています。原作はヨハンナスピリですがアニメのキャラクターが実に生き生きしており、ついつい感情移入してしまいます。なんといっても作画がすばらしい!アルプスの風景画がじつにうつくしく、人々の生活の様子が見事に描きこまれている。それもそのはず、後のジブリの高畑勲・宮崎駿両氏が作ったのだから・・。また忘れてならないのが 渡辺岳夫氏によるBGM音楽。ドラマ展開に夢中にいなりがちですが、いろんなシーンにさりげなくすばらしい音楽が流れています。


ジブリといえば「ナウシカ・トトロ・ラピュタ・もののけ・千尋」この定番は何度でも繰り返し観ておりますが、あの誰でも知っている日本の古典をアニメ化した作品は未見でしたので、お盆休み、図書館から借りて観ました。(伊万里市民図書館のDVDコーナーにはジブリ作品がそろっています。)いや~大傑作でした。

「かぐや姫の物語」姫の犯した罪と罰
高畑勲 監督 スタジオジブリ制作2013年11月23日に公開
(ここからネタばれ注意)

日本の傑作古典「竹取物語」のアニメ化。最近のCGを駆使したアニメ作品と画風が一味ちがう。ひと筆描きの日本画風。うごきが細かくしなやかで柔らかい。素朴だけれど、手書きの温かみじわじわと染み入るように、心を奪われる。ひとつひとつのシーンが絵本のようのでもある。

私たち、見るものは、作中の“とと様やかか様”とおなじように姫を赤ん坊のときから成長を見守ることになります。姫に感情移入してしまいます。月に帰らんとする姫を見送るときの切なさは、半端ありません。crying

さて、ハイジもかぐや姫も共通したキャラクターがあります。圧倒的に、純粋無垢で、天真爛漫。感受性が豊かで、その魅力に周囲の人が魅了されてやみません。しかし、その魅力がときに罪作りなほどに周囲の人を翻弄させます。ハイジの場合、オンジ、ペーター、ペーターのおばあちゃん、クララ・・ハイジがいてくれないとどうしようもありません。でも、ハイジを愛する人はみな愛すべきいい人たちです。しかし、かぐや姫は違いました。みずしらずの男が狂ったように夢中になるのです・・・。

また、ふたりは自然児で自由人あります。自由や自然を奪われると、ふたりのこころは病んでしまいます。ハイジはアルムの山から無理やり連れて来られたフランクフルトの生活で、山が恋しくてたまらず幻想を見たり、夢遊病になって徘徊してしまいます。かぐや姫も、ふるさとの山里を離れ 窮屈な宮中生活に耐えかねて情緒不安定におちいり、やがてフラストレーションが爆発して野獣のように、走り出し山へと駆け上り雪の中へ倒れこみます。しかし、「月」は彼女を追いかけて時を巻き戻してしまいます。(死なせてはくれません)

とと様の手配で無理やりに山里から都に移ったかぐや姫。彼女の魅力は、都中に知れ渡ることになります。宮中の貴族はこぞって、姫詣でをします。姫の姿は彼らは観たことありません。しかし、琴の音、声やたたずまいを感じるだけで、魔法にかかったかのように夢中になります。とと様は、姫のためと、貴族の男たちとお見合いさせようとします。姫は、俗物丸出しの男たちが自分への想いを証明するため世の中にふたつもない宝を持ってくるよういいつけます。(ここに姫に悪意が芽生えます)男たちはそれぞれ奔走し、財産を失うものがあれば、命を失うものもでてきます。それを知った姫は深く傷つきます。実は姫には子供のころに遊んだステ丸という憧れのお兄さんの存在がいました。ある日、長い間離れ離れになったステ丸と再会します。ステ丸には妻子が会います。しかし、かぐや姫と分かった瞬間、ステ丸はたまらず一緒にどこまでも逃げようといいます。二人は抱き合い空を飛んで悦びを爆発させますが・・・やはり「月」に阻まれます。地上に落ちたステ丸は夢の中の出来事として現実の妻子の元へ帰ります。

やがて、帝がかぐや姫に会いに来るようになります。そこでかぐや姫は「月に帰りたい」と願ってしまうのです。自分自身の存在が周りの人間(男)を狂わせ不幸に至らせしまうことを感じ取ってしまうのです。月はそれを知ることになります。そうなった以上、どんなに姫が地球にいたいと念じても、とと様かか様や地上の人間が抵抗してもかないません。月のお迎えで帰ってしまいます。

月は不老不死の世界。なに不自由もなく争いもない平和そのもの世界。その月から見た地球。花や木、虫や鳥など生き物が生まれて死んでいくこと。死があるからこそ生きることが貴重で喜びである世界に興味を持った月のお姫のわがままが生み出したきまぐれの冒険物語なのでしょうか・・。いやそうではなく、命というものを知りたくて、死と隣り合わせの生を生きてみたいと心の底から思ったんじゃないか・・今も月が見える夜はかぐや姫が向こうにいて、地球を見守っていることを夢想してしまいます。いやしかしこう考えると、この日本古典文学すごいですね!





残念なことですがこの「かぐや姫の物語り」が高畑勲の遺作となりました。とても惜しいことですが、こんなすばらしい作品を遺作にできたこと、ハイジをはじめ「世界名作劇場」で時間を越えて世界中に愛される作品を数多く残されたこと。アニメ文化を芸術文化まで昇華させた功績はいつまでも世界中の人々から称えられることでしょう。しかしもっともっと評価されていい作家であり、今後いつか正当に評価されるときが来ることを祈っております。

  


2019年07月27日

伊万里市立図書館借りて観た映画 「砂の器」

先日のニュースで、安倍総理がハンセン元病患者の家族に、過去の差別的隔離政策等について謝罪する場面が流れました。そのニュースを見て、真っ先に思い出したのが松本清張原作映画「砂の器」です。虚栄と偏見と差別。戦後日本が急激な高度成長期の社会を背景に起こった壮絶な人間ドラマです。

「砂の器」1974 原作:松本清張 監督:野村芳太郎

(以前に観たものの記憶をたどっていますので、ひょっとして記憶違いがあるかもしれません。その場合どうかご容赦を。いわゆる「ネタバレ」には注意して核心になる部分は触れないようにつとめますが、白紙の状態で初見されたい方は、申し訳ありませんがここからは読まれないほうがよいと存じます。)

旧国鉄駅構内で殺人事件が起こる。丹波哲郎と森田健作刑事コンビの粘り強い捜査で犯人のめぼしはつける。しかし、犯人と被害者の接点は?そしてその動機は?なかなか結びつかない。

そしてついにたどりついたのには出雲の国の『亀嵩カメダケ』という土地。丹波哲郎刑事はそこから日本各地を直接訪ね歩いて、複雑に絡みついた糸玉のような謎がを徐々にほぐすようにして犯人逮捕の決め手をつかむ。犯人を逮捕に向かう直前、警察署内会議で経過報告する彼の独特の語りは日本映画史上に残る語り継がれるべき名演技です。このドラマは犯人がわかってからが本当の始まりです。加藤剛扮する主人公が晴れの大舞台で演奏する壮大なピアノ協奏曲「宿命」(芥川也寸志:音楽)はその語りは丹波の語りと重なり、そこから展開する映像中で、主人公にとってけっして明らかにしてはいけない壮絶なる生い立ちを私たちは目の当たりにするのです・・。

日本海沿いをお遍路姿の父(加藤嘉)とその息子がその日ぐらしであてどもなく流れされていきます。父はハンセン病を患い、それに対する偏見で行く先々で差別される。塩をまかれ、罵られ、殴られ、蹴られ、虐げられ流れていく旅路。むしろそれゆえに父と息子の絆はいっそう深まっていく。despair ドラマチックな演奏とともに二人は流れる季節うつくしい日本の原風景の中を旅していきます。

やがてたどりついた土地(亀嵩)で、ひとりの巡査に運命的に出会います。(緒方拳) 巡査は彼ら救いの手を差し伸べます。巡査は良かれと思い、病気の父を少年から切り離して病院(隔離施設)におくります。残った少年は巡査夫婦に手厚く育てられますが、いずれ自ら黙って出て行くことになります。

その後長い長い月日が流れドラマ上の現在に至る。彼の父は生きていた。隔離施設でずって再び息子と出会うことを日に日に待っていたのだ。むしろそのことだけを希望のともし火として生きながらえていたのだった・・。そして二人だけの秘密を知りえるもの。そう、あの巡査が、ふとしたきっかけで黙っ出て行ったままの主人公:どん底から今まさに一流ピアニストとして晴れの演奏会の舞台にあがろうとする彼の存在を知ってしまう。そして、その巡査(ずっと父親のことを気にかけて施設に手紙を送っていた)は再び彼ら父と息子を結び付けようと主人公に会うのだった・・。

丹波刑事は裏づけを取るために隔離施設を訪ねてその父親に面会します。現在の主人公の写真を見せ、「あなたの息子でしょう」と迫ります。月日は経ったとはいえ息子のことを一分一秒足りとも忘れなかった父親がどうして見誤ることがありましょうか!?しかし、父親は「こんなひと知らねえ!!」と言い放つのです。(ここで我輩の涙腺は崩壊し、嗚咽してしまいました。) crying 父親は相手が刑事だったことで察したのでしょう。



松本作品の特徴はローカル列車の旅です。この映画においても、刑事役の丹波哲郎がいろんな地方に列車で出かけていきます。松本清張作品をたどる映画ロケ地めぐりも楽しいかもしれません。ウィキペデアによればロケは亀嵩駅は実際の亀嵩駅ではなく、ホームは出雲八代駅、駅舎は(亀嵩駅と二つ駅違い)八川駅だったらしいです。島根県仁多郡奥出雲町郡にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅 とあります。

長くなりました、ここまで読んでいただきありがとうございます。

それではまたいつか。happy01
  


2019年07月06日

平成サスペンス映画:伊万里市民図書館から借りた映画

こんにちは、おひさしぶりです。

あいかわらず、週末は伊万里市民図書館から借りたDVDを観ています。
ジャンルは幅広いですが、中でもサスペンスものはよく借ります。

というわけで今回は面白かった平成サスペンス映画をご紹介したいと思います。しかし、ネタバレ厳禁なので、感想を書くのは実に難しいのですがとりあえずやってみます。(映画を未見で予備知識を入れたくない方は申し訳ございませんがこれ以上は読まれないことをオススメシマス。)


「手紙」東野圭吾原作劇場公開日 2006年11月3日

両親をなくした二人だけの兄弟。兄武島剛志(玉山鉄二)は優秀な弟 武島直貴(山田孝之)を大学進学させるため 必死に働くが、体を痛め会社辞める。経済的に困窮しついに盗みに入り、家主に出くわして思いもよらず殺してしまう。

その後、主人公直貴は、殺人犯の弟というレッテルを貼られ、学校をやめ 職を転々とし、住むところも名を隠し、ひっそりと暮らしているという設定。自分のために罪を犯し服役中の兄との手紙のやりとりを続ける。兄は弟の手紙のやり取りが唯一生きがいになっている。だが弟はその兄の存在ために結婚も破談し、学生時代からの夢も立たれる。

ただ直貴のことを見守る理解者女性白石由美子(沢尻エリカ)(彼女も不幸な家庭事情のため、施設で育つ)がいて、その女性と結婚し家庭を持つ。子供を授かり小さな幸せを手にしたと思ったのも束の間、「殺人犯の家族」という社会の厳しい視線がその小さな娘にも及ぶのだった。それを知った直貴はついに絶縁の手紙を兄に送る。その手紙を受け取った兄は・・・・。

山田孝之はヒットドラマ「白夜行」(東野圭吾原作)でもあったように 陰のある役には定評があり、この映画でも実にハマリ役。しかしなんといっても、理解者の女性役の沢尻エリカはよかった。気立てはいいが気が強い役がぴったり。女優としては存在感がある実力のある女優さんであることがわかりました。

この映画は、謎解きというより、社会問題反映させた人間ドラマ。“背負った逃れられない宿命それがどんなに不条理なものであっても、いかにそこに向き合って生きていくか”それが大きなテーマと思いました。



「麒麟の翼」2012年に映画化
これは東野圭吾原作人気シリーズ「新参者」の映画化。東野圭吾といえば、有名な福山雅治の「ガリレオ」ですね。これも実に興味面白い。謎解きが洗練されて実に興味深い。でも、我輩はクールでスマートな「ガリレオ」より、野暮ったく人間臭い阿部寛の「新参者」派です。この映画は正に本格サスペンスなので、できるだけネタばれしないよう短いご紹介にとどめます。


ある寒い夜、腹部を押さえたスーツを着た中年のサラリーマン(中井貴一)が、よろよろと必死に歩き、日本橋の「翼を広げた麒麟の像」の下まで辿り着き、その場で力尽きる。血に染まった折り鶴を残して・・・。いったい彼は何を伝えたかったのか?

過去に取り返しのつかない罪を犯した息子(松坂桃李)の絶対に秘密であるはずの罪を知ってしまったその父(中井貴一)の贖罪。被害者とその家族の苦しみと悲しみ。それぞれの人間ドラマが重層的に絡まりあい緊迫した息の詰まるような展開を刑事加賀恭一郎(阿部寛)によって私たちは目の当りにします。最後は冒頭に殺された中井貴一が日本橋の「麒麟の翼」と「折鶴」にこめたメッセージが意味するもの明らかになり、わたしたちは目頭を熱くすることになります。

最近、現実社会でも凄惨な事件が起きていますね。家族の形態や絆が問われるような深刻な問題です。一度でも身内に罪を犯してしまったら・・家族はどうやって罪を償うべきなのか?切実な問題として私たちに突きつけられる重いテーマです。

そういえば、先週、東野圭吾原作の新参者シリーズ「祈りの幕が下りる時」がテレビで放送されました。主人公の加賀恭一郎の半生も巻き込んだ複雑な人間関係。なぞがなぞを呼ぶ緊迫したサスペンスで実に面白かった。いや~、松島奈々子の演技がすさまじかったです。プロットはあの昭和の名作「砂の器」髣髴させますが、東野作品の多くは松本清張作品にあるように、罪を犯してしまった者の立場を重点において事件を描いてます。罪を犯さざる得なかった人間の苦しみの贖罪の半生、さらに被害者の心情と重層的に描くと本格人間ドラマという点で、昭和のサスペンス踏襲した作家であると考えます。

ほかに伊万里市民図書館から借りた平成サスペンスで面白かったのが「重力ピエロ」伊坂幸太郎原作2009年公開。と、もうひとつ「アヒルと鴨のロッカー」伊坂幸太郎原作2007年に映画化の二本。

両者とも主人公は過去に受けた癒しがたい心の傷をひきずり苦しみ、病んでいいます、その傷をもたらした悪の根源に復讐をする話です。湊かなえの名作「告白」に近いものがあるとおもわれます。これらの映画では悪はあくまでも悪です。傷を受けたものが復讐することで、忌まわしい過去の傷や自らの不条理な出自を癒そうとする物語です。映画的手法としてポップな新感覚の平成サスペンスといえるかもしれません。

さて、「令和サスペンス」はどのようなものなるのでしょうか?長くなりました。ここまで読んでいただいてありがとうございます。それではまたいつの日か。

CMタイム:
いっきゅうの夏休み講習のチラシです。あいかわらず折り込むのは小部数ですので、この場を借りて、
サムネイル添付させてもらいました。どうぞよろしくおねがいします。



  


2019年06月01日

英語で「誰も知らない」紹介

今は高校総体期間中なので塾生のお休みが多い。
でも今日は明日の英検対策授業あったので今日はそれでオシマイ。
というわけで、時間が出来たので前からやってみたかった「伊万里市立図書館借りた映画特選」ちょっとやってみます。

実は2週間に1回ぐらい気分を変えて、伊万里市立図書館で勉強しています。
その帰り際にDVDやVHSの映画を借りています。返してはまた借りるの繰り返しで観た映画もずいぶんな本数になると思います。

で、その中で感銘をうけたもの、面白かったものの感想をぼちぼち記して行こうかとおもいます。(不定期ですが。)

以前に観たものの記憶をたどっていますので、ひょっとして記憶違いがあるかもしれません。その場合どうかご容赦を。いわゆる「ネタバレ」には注意して核心になる部分は触れないようにつとめますが、白紙の状態で初見されたい方は、申し訳ありませんがここからは読まれないほうがよいと存じます。


第一弾は「誰も知らない」
2004年 是枝 裕和監督作品 (伊万里市図書館には是枝作品は「海街ダイアリー」「歩いて歩いても」「そして父になる」あります。全部観ましたよ。happy01
「誰も知らない」は以前もレンタルで観た事があったのでこれで三回目。

実母に見捨てられた、それぞれ父親が違う子供たちの共同生活を描いたもの。
(実話を基にしたフィクション)
胸が痛む切ない映画だけど、うつくしくて、ちょっと楽しいところもある映画でありました。

一番最初に観たのは十年以上前、あまりの衝撃になぜか英文で感想を書きました。(よく暇とエネルギーあったものだなと!いまさら我ながら感心してます。実は当時カナダ在住のネットで知り合った人に紹介したくて、勉強を兼ねて書きました。)
良かったら読んでください。



Nobody Knows

The movie starts off with a mother and her four children.
One day, the mother and one of her sons move into a small apartment.
They end up hiding the other three children in boxes and luggage.
That’s because these days, most landlords in Tokyo don’t accept mothers with many young children for fear of troublemaking and causing a burden on the other tenants. All of the mother’s children don’t go to school.

The oldest son is taking care of almost all the housework and rearing the other small children until the mother comes home late at night. The other children are not allowed to go out for fear of being evicted if they are discovered by others. Actually, they seem to be prisoners in their own home. The children are not sure what their mother is doing for a living. The mother seems to have a boyfriend. In fact, each child’s father is different.

One day, the son complains to his mother about her attitude towards life.
She talks back to her son saying, Can’t I pursue my happiness? Do I have to sacrifice my life? Basically, it’s your father’s fault!!? After several days, the mother goes away. So, the kids end up living a life like that of a family of abandoned cats. No adults are aware of their existence. They build their own network of contacts and establish friendships with a few minors. However? Hmm, I should not go into any more detail.

This movie is like a documentary. The story moves slowly and the kids? lives are vividly portrayed. The movie’s cinematography succeeds in capturing every single sensitive expression that the kids make. The story in itself is bitter and sad. (There are several pleasant episodes.) Unlike other tearjerker movies, this movie is subdued, and all the better for that. I was gradually moved to tears.

Thank you for reading. Hiroto



次回の「伊万里市立図書館借りた映画特選」は日本語でやろうと思います。もう我輩には英語で映画の感想など書く時間とエネルギーはないようですdespair  


2019年05月06日

平戸映画ロケ地めぐり

長い連休が終わりつつあります。我輩は5月の3-4-5-6と4連休いただきました。

で、この連休、めったに休まない自営業の友人が休みを取ったので、じゃ1日どこか行こうかということになり、あまり混雑しないだろうとの予想で平戸へ。観光地めぐり(何度もいったからね)というよりお互い映画好きなので平戸映画ロケ地めぐりをしてきました。

まずは平戸北部小さな港、薄香。「あなたへ」高倉健主演。友人推しです。
吾輩は観てません。(今度是非観ようとおもいます。)


350


観た人は、あああそこ!と分かるロケーションだと思います
小さな漁港ですが、むかしながらの家並みが素晴らしい。
路地をぶらぶらしました。ひなたぼっこのおじいちゃんおばあちゃんたちもニコニコ穏やかでした。


次は吾輩推し。以前伊万里図書館から借りて観た「悪人」(佐賀 長崎 福岡を舞台)。妻夫木聡扮するの主人公祐一の実家のロケ地として平戸島中西部にあるこの堤漁港が選ばれた。(設定は彼杵らしいのですが、ロケはこの小さな港。映画では、イメージ優先+諸事情で原作の実際の場所を変えて撮ることはよくあること。)道を間違ったらしく、山間の農道をぐるぐるまわってやっとたどり着いた。この漁港も日本の原風景といった趣で感動です。(今動画サイトでこの映画のサンドトラック:久石譲が聴きながら気分を出して書いてます。)



樹木希林さんが祐一のおばあちゃん役でこの家(実際は個人宅でちょうどとなりのおばちゃんが「悪人」やろ?と教えてくれました。)で暮らしていました。

映画のストーリーは、この漁村で祖母祖父と鬱屈と暮らしている孤独な青年、祐一がネットで知り合った女性(満島ひかり)を(設定三瀬峠だがロケ地は神奈川 丹沢山地)思わず殺してしまう。一方、深津絵里演じる光代は生まれてこの方、佐賀の町を出て暮らしたことのないおっとりした優しい女性。(でも、深津さん本当に綺麗です。)ふたりはネットで知り合う(灯台の話で通じ合った。)佐賀駅南のロータリーで出会い・その日のうちに別れようとするシーンは印象的。しかしお互いを忘れらない二人。そしてまた出会い愛し合う。祐一ついに彼女に事情を告白し、自首しようと土砂降りの雨の中、諸冨警察署に向かう。彼を車の中で見送る光代だが、あふれる感情をどうしようもできなくなってついクラクションを鳴らして彼を引き停めてしまうのだ・・。そこから二人は西へ西へと逃避行。そして彼らが流れ着いた五島の大瀬崎灯台。世界から完全に取り残されたふたりのだけの場所は世界の最果て感が半端ない。この地の果てにはいつか行きたいっ!一方世間は殺人犯の若い女性を連れての逃走劇で大騒ぎ。さてこの映画の結末は・・?よかった観てください。happy02


まあ、今回の小旅行、たいした写真は撮れませんでしたが、実際にその場に立って映画と同じ空間を体に感じとることが目的なのでありまして、今思い出しては感動がジワジワ来てます。そういう意味で映画で感動してそのロケ地はめぐりいいなあ、と思う次第です。(伊万里も映画のロケがあったらいいのにね。) 帰りは、紐差の道路沿いのお店で蒲鉾と、平戸の物産館で干しアゴお土産に買いました。いいお天気の下車も空いてて、とくに松浦まで延伸した西九州道のドライブは快適でした。confident


実は今年の受験シーズン過ぎた頃から、伊万里の図書館で勉強した帰りに映画コーナーをDVD借りて観ています。この連休中も観ましたよ。また、いつかその感想を書いてみたいです。

じゃ、明日からがんばりましょう・・。lovely  


2018年09月17日

歩いても歩いても

「歩いても歩いても」是枝裕和監督
昨日伊万里市民図書館から借りて久しぶりに映画らしい映画を観た。


お盆休み里帰りの一日を描いた家族のドラマ。小津映画を髣髴させるような場面構成。ゴンチチの音楽と坂の多い海辺の町が舞台。牧歌的ドラマとおもいきや、それぞれ事情を抱える家族の思いがじわじわと錯綜する心理サスペンスドラマなのだ。(犯罪事件は起こらない。)

死の影が全体に覆っている。とくに樹木希林さん演じるおばあちゃん。どこかしら怖いところがある。誰からも愛される家族思いのひょうきんなおばあちゃんなのだが・・。実は心の奥にほのかな闇を抱えており、不意に「怖い」ところが垣間見えるところがある。

なんだかまるで樹木さんご本人そのもののようだ・・といえば失礼か。いやいや・・ニコニコ笑って「怖い」と感じさせるようなすごい女優さん・・ほかいるだろうか??今年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作「万引き家族」是枝裕和監督作品にもご出演されており、是非とも見ておきたい映画だ。
(音楽 細野晴臣:樹木さんと瓜二つ。happy02


実は偶然にもこの映画を観てから訃報を知った。#樹木希林さんのご冥福をお祈りします。