2009年09月24日

by 25% by 2020:努力目標

今度の国連の総会で、鳩山首相は英語で演説をし世界に向けて『おおきな努力目標』を掲げました。 “by 25% by 2020.” 2020までに1990年比25%のco2など温暖化ガスを削減する。米中の参加が前提とはいえ、アレだけ世界に向けてブチ挙げたからにはもはや『国際公約』なってしまった感があります。

また、オバマ大統領『非核兵器宣言』この国連総会と歴史的なプラハ宣言で核兵器のない世界を目指すと宣言してます。Obama Prague Speech On Nuclear Weapons:

現実主義的観点からみれば、そんなことできるの?そんなことブチアゲて大丈夫?と思ってしまいます・・・。

先日、柄谷行人さんの対談を読んでいたら、「カントの『統制的理念』とはいわば『努力目標』なんだよ。」と言っていました。その『努力目標』があるかぎり、『理念』を『幻想』として斥けることは出来ない、それは現実に統制的に働く。と・・・。

by 25% by 2020:努力目標
佐賀バルーンフェスタにて

このことを逆に言えば、もし第二次大戦後『平和という理念』を世界が持ってなかったとしたら世界はどうなっていたでしょう?核兵器の抑止力だけで人類は冷戦を乗り越えられたのだろうか・・・?ムリでしょう・・・という話です。

個人も同じなのかもしれません。『努力目標』を何かぶち上げてみる。それはきっと日常の言動に統制的に働いていく(自分を律する)ものだとおもいます。これは言い換えれば『志・こころざし』を持つ、ということだと思います。

ともかく、鳩山・オバマは世界におおきな『努力目標=志』を示しました。本当にカントの言うように、それが世界に統制的に働き現実的にCO2が削減でき、核兵器がなくなっていくのか・・・今後の歴史がカント説を証明する実験です。日本の『国際公約』となってしまった以上、私たち日本人はこの『努力目標』に否応なく責任を負ってしまったのですが・・・。それはそれでいいのかもしれません。どうでしょう?



Posted by いっきゅう  at 16:47 │Comments(0)

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