2015年04月11日
国見台 春の散歩道:サイモンとガーファンクル聴きながら・・・
桜が散った後のひっそりした国見台公園をi-PODでサイモンとガーファンクル聴きながら、カメラ片手に歩いた。そしていろいろ考えた。

なぜ、ひとは興味あるものに関しては、多くを覚える事が出来るのだろうか?たとえば好きなアイドルやアニメ・ゲームのことは驚くほど詳しくなれる。その一方 興味がないものは覚えられないし・・強制されると、苦手意識ができ、嫌いになる。そしてますます覚えられなくなるのだ。 たとえば、英語の単語の発音がうまくできない。数学の公式が身に付かない。社会理科の用語が頭に入らない。 しまいには『もう いっちょんすかん!!』の連発・・。ウ~ム、どうすればよいのやら・・・・。
そうそう、水泳や自転車を思いだしてみよう・・・。ゆっくりゆっくり慌てずに、徐々になれて行こう。すこしづつでもできるとうれしい、うれしいと楽しくなる、楽しくなると好きになるという好循環をつくろう。脳は身体の一部。無理やりの丸暗記はNG。あせらず、でもあきらめずコツコツと慣らして慣らして・・・。無理に一生懸命覚えようと意識しないでもやればやるほど自然と脳が覚えてくれるのだ。泳ぎや自転車の乗り方はずっと身体が覚えてくれるように・・。

英語を指導している時、よく訊かれるのが『どうしたら英単語覚えたら良いですか?』 その答えは『英語が好きになればいいよ。』(そらそうだ!) では、『どうして好きになればいいのですか?』『英語に慣れ親しむことだよ。』『ではどうやって慣れ親しめば・・?)』 『おとのかたまりつまり語感リズムで覚えるように・・』『え?音のカタマリ?なに?』(ウ~ムまるで禅問答だ。)
・・・では、我輩がどのようにして英語に慣れ親しむようになったのかを、私事ながら・・・。
きっかけは我輩が中学生に入学したお祝いに、サイモンとガーファンクルのベスト曲集のカセットテープを姉に買ってもらったことだ。S&Gの奏でる美しいアコーステックギターのアルペジオの響きとふたりの繊細なハーモニー・・・。意味は分からないが、 英語の気持ちのいい言葉の響き。歌詞カードの英語の文字の並びの美しさに惹かれた。その中に日本語訳の意味さえもよくわかない内省的だけど一度聴いたら忘れられないとても美しいメロディの楽曲があった。 いつか自分で訳して理解したいとおもいました。 それが有名な『サウンド・オフ・サイレンス』。


とても不思議な歌詞だ。まるで村上春樹作品の異空間ワールドのような・・。今あらためて『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味を考えてみても、よくわからない・・。まるで夢分析だ。でも、感覚的にはわかる、とおもう。つまり、頭で理路整然とわかるものではなく、歌詞と音が一体となってつくる世界観に共感を覚えるのだ。芸術とはそういうものだ。

それはともかく、そのテープをもらって以来、事あるごとに何回もS&Gのテープが伸びてしまうまで聴きこんだ。 またいろんな洋楽を聴くようになった。そのうち歌詞が自然と頭に入ってきて覚えられるようになった。リズムのある語感で英語の歌詞のフレーズを身につけるようになったのだ。 『英語は語感=リズムで出来ている』といっても過言ではない、という考えに至りました。このような過程を得て慣用句などの英語のさまざまな表現も覚えられるようになったのだと、思います。 今、こうして英語を教えてるのも、英語を夢中で勉強で出来たのも、この体験がつながってきてるのかな? と。まあ、一個人の例に過ぎないけど・・。 テープをもらってから数十何回目の春S&Gを聴きなおしてそう考えています。
さて、余談ながら、あらためサイモンとガーファンクルの楽曲の素晴らしさに驚いています。アコーステックなミニマルな音作りなのに、音響としての立体感がある。音圧がある。環境音楽(アンビエント)として成り立っている。(今風に言えばフォークトロニカが究極にもとめている音像をS&Gは40年以上も前にコンピュータを使わずに確立していたともいえよう。) たんなる聴き心地のよいポップスではない・・・。これってあまり語れてないようだけど、革新的前衛的な偉業を成したデュオとしてもっと再評価されるべきではないかと思う次第であります。

中・高生はもうぼちぼち新学期の授業も始まってますね、もし勉強で苦手意識が出来てしまったら・・・まずは、『苦手』という心の壁をいったんリセットしよう。出来なくていいから感覚をいっぱい広げて,好奇心や遊び心をもって、とりあえずなにか自分のアンテナにひっかかることがないか、自分なりに探してみよう。
なぜ、ひとは興味あるものに関しては、多くを覚える事が出来るのだろうか?たとえば好きなアイドルやアニメ・ゲームのことは驚くほど詳しくなれる。その一方 興味がないものは覚えられないし・・強制されると、苦手意識ができ、嫌いになる。そしてますます覚えられなくなるのだ。 たとえば、英語の単語の発音がうまくできない。数学の公式が身に付かない。社会理科の用語が頭に入らない。 しまいには『もう いっちょんすかん!!』の連発・・。ウ~ム、どうすればよいのやら・・・・。

そうそう、水泳や自転車を思いだしてみよう・・・。ゆっくりゆっくり慌てずに、徐々になれて行こう。すこしづつでもできるとうれしい、うれしいと楽しくなる、楽しくなると好きになるという好循環をつくろう。脳は身体の一部。無理やりの丸暗記はNG。あせらず、でもあきらめずコツコツと慣らして慣らして・・・。無理に一生懸命覚えようと意識しないでもやればやるほど自然と脳が覚えてくれるのだ。泳ぎや自転車の乗り方はずっと身体が覚えてくれるように・・。
英語を指導している時、よく訊かれるのが『どうしたら英単語覚えたら良いですか?』 その答えは『英語が好きになればいいよ。』(そらそうだ!) では、『どうして好きになればいいのですか?』『英語に慣れ親しむことだよ。』『ではどうやって慣れ親しめば・・?)』 『おとのかたまりつまり語感リズムで覚えるように・・』『え?音のカタマリ?なに?』(ウ~ムまるで禅問答だ。)
・・・では、我輩がどのようにして英語に慣れ親しむようになったのかを、私事ながら・・・。
きっかけは我輩が中学生に入学したお祝いに、サイモンとガーファンクルのベスト曲集のカセットテープを姉に買ってもらったことだ。S&Gの奏でる美しいアコーステックギターのアルペジオの響きとふたりの繊細なハーモニー・・・。意味は分からないが、 英語の気持ちのいい言葉の響き。歌詞カードの英語の文字の並びの美しさに惹かれた。その中に日本語訳の意味さえもよくわかない内省的だけど一度聴いたら忘れられないとても美しいメロディの楽曲があった。 いつか自分で訳して理解したいとおもいました。 それが有名な『サウンド・オフ・サイレンス』。
とても不思議な歌詞だ。まるで村上春樹作品の異空間ワールドのような・・。今あらためて『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味を考えてみても、よくわからない・・。まるで夢分析だ。でも、感覚的にはわかる、とおもう。つまり、頭で理路整然とわかるものではなく、歌詞と音が一体となってつくる世界観に共感を覚えるのだ。芸術とはそういうものだ。
それはともかく、そのテープをもらって以来、事あるごとに何回もS&Gのテープが伸びてしまうまで聴きこんだ。 またいろんな洋楽を聴くようになった。そのうち歌詞が自然と頭に入ってきて覚えられるようになった。リズムのある語感で英語の歌詞のフレーズを身につけるようになったのだ。 『英語は語感=リズムで出来ている』といっても過言ではない、という考えに至りました。このような過程を得て慣用句などの英語のさまざまな表現も覚えられるようになったのだと、思います。 今、こうして英語を教えてるのも、英語を夢中で勉強で出来たのも、この体験がつながってきてるのかな? と。まあ、一個人の例に過ぎないけど・・。 テープをもらってから数十何回目の春S&Gを聴きなおしてそう考えています。
さて、余談ながら、あらためサイモンとガーファンクルの楽曲の素晴らしさに驚いています。アコーステックなミニマルな音作りなのに、音響としての立体感がある。音圧がある。環境音楽(アンビエント)として成り立っている。(今風に言えばフォークトロニカが究極にもとめている音像をS&Gは40年以上も前にコンピュータを使わずに確立していたともいえよう。) たんなる聴き心地のよいポップスではない・・・。これってあまり語れてないようだけど、革新的前衛的な偉業を成したデュオとしてもっと再評価されるべきではないかと思う次第であります。
中・高生はもうぼちぼち新学期の授業も始まってますね、もし勉強で苦手意識が出来てしまったら・・・まずは、『苦手』という心の壁をいったんリセットしよう。出来なくていいから感覚をいっぱい広げて,好奇心や遊び心をもって、とりあえずなにか自分のアンテナにひっかかることがないか、自分なりに探してみよう。
