2023年05月02日
晴草雨読:らんまんな休日
こんばんわ~。いっきゅう、連休は暦どうりです。昨日と今日は授業しました。
6日もやります。
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「雨読」
さて、連休初日はあいにくの雨。
塾のリニューアルした学習部屋(IKKYU202)に自宅から持ち込んだ未読の古本を拾い読みしました。(蔵書の活字本はエッセイ・随筆ものばかり)

「圏外編集者」70’s~80’’s流行の先端:初期「ブルータス」「ポパイ」の記事を書くために(そのオシャレな内容とは裏腹に)野蛮で過激な行動力が必要だったのを知る。)
「ガケ書房の頃。」一念発起で古書店開店。街のカルチャー発信源として若者の夢と挫折。新参古本屋稼業のシビアな現実のルポルタージュエッセイ。メチャクチャ大変そうだけどメチャクチャ楽しそうだ。
「古道具ニコニコ堂」ちょっぴりセコイ日銭商売の日常をつづったじんわり味のほっこりエッセイ。
「古本暮らし」古本好きのだらだらとした非生産的な日々の暮らしをつづったエッセイ。ヴィンテージな文体でちょっと情けない暮らしぶりがしみじみ和む。
実は最近、塾の授業が始まる前、学習部屋のソファで珈琲口に含みながらこんな風に過ごしています。
(新学習部屋をひとり満喫してしまってる(笑))このひとときで授業開始のための「ととのう状態」になるのだと思うのです。
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「晴草刈り」
30日は涼しい感じの晴天。よって庭の草刈り日和。
(今年で3度目。)
そう、この休日二日間は「晴耕雨読」ならずともいわば「晴草雨読」です。
そして考えました。
「雑草」って言葉そもそもなんなん?
植物学的に「雑草」と種あるん?いやないやろ?それぞれがいろんな種なのだから。
それはたぶん、人間側の社会生活で邪魔になる植物・無価値な植物を「雑草」とカテゴリー分けしてるだけなのだろう、と。つまり人間の勝手・都合。
人は草を刈る一方、園芸植物を愛でる。
その姿が造形美的に優れていて、なんだかんだと手入れが必要で、なおかつ希少性のあるモノがだけがより愛され、より価値を持つのだ。
一方、タンポポなどは可愛いけど、人に踏みつけられてもコンクリートだろうとどこでも生えてくる。だから雑草扱いなのだ。なんとも不条理!そういば、朝ドラで植物学者の主人公・牧野富太郎ぼっちゃまは、行きがかりの自由民権運動の集まりで、市井に生きる人々の尊厳を「雑草の逞しさと尊さ」にたとえてぶち上げちゃいましたね。
そう、ある意味、雑草こそ富太郎坊ちゃんが求める自由の体現なのだ!生まれながらに背負った古い家柄の当主の宿命=人間の鑑賞用のなんてまっぴらごめん。生えたい場所に生えるだけさ!
だがそれでも吾輩は草を刈る。なぜなら我が家の庭の雑草だから。吾輩も社会生活営んでる以上、決して自宅の庭の草は放置はしませぬ。「是々非々」なのである。しかし吾輩は負け続けるのだ。2週間もすればこの時期ならほぼ元どうりだ。いや、むしろ刈り取ったことでブワ~ッとドヤ顔でさらに勢いづいくる予感が・・。

半分ほど刈ったところで草刈り機のバッテリーが切れた・・ええぃままよ!と手でむしり取りもしたがとてもとても‥。やはり今日も吾輩の負けだった。はぁ、この雑草の生命力を活かすことはできないのだろうか??
この先、人類が滅んでも雑草は生き残るだろう・・きっと。
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手作りチラシ。
今年は3月卒塾が多かったので、そろそろ新規塾生募集しなくては、と。ずっ~とやらんといかんとおもいつつやっと本日重い腰をあげてみたのだが結局、過去作ってチラシを少し作り替えただけです。
忙しい受験期は「はよ、のんびりしたいの~」とおもってたのに「もうそろそろ忙しくせんとといけんかじゃの~」
(牧野富太郎の高知弁のつもり。あってる?)
サムネですけんポチとしてくれんかのぉ?
5月中に折りこみいれようかな・・?うーん連休明けてから考えよう・・・。(笑)
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自宅から風に吹かれる庭の草をぼんやり見ながらボブ・ディラン一節、鼻歌くちづさんだ。
ではでは、"Happy holidays!"
6日もやります。
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「雨読」
さて、連休初日はあいにくの雨。
塾のリニューアルした学習部屋(IKKYU202)に自宅から持ち込んだ未読の古本を拾い読みしました。(蔵書の活字本はエッセイ・随筆ものばかり)
「圏外編集者」70’s~80’’s流行の先端:初期「ブルータス」「ポパイ」の記事を書くために(そのオシャレな内容とは裏腹に)野蛮で過激な行動力が必要だったのを知る。)
「ガケ書房の頃。」一念発起で古書店開店。街のカルチャー発信源として若者の夢と挫折。新参古本屋稼業のシビアな現実のルポルタージュエッセイ。メチャクチャ大変そうだけどメチャクチャ楽しそうだ。
「古道具ニコニコ堂」ちょっぴりセコイ日銭商売の日常をつづったじんわり味のほっこりエッセイ。
「古本暮らし」古本好きのだらだらとした非生産的な日々の暮らしをつづったエッセイ。ヴィンテージな文体でちょっと情けない暮らしぶりがしみじみ和む。
実は最近、塾の授業が始まる前、学習部屋のソファで珈琲口に含みながらこんな風に過ごしています。
(新学習部屋をひとり満喫してしまってる(笑))このひとときで授業開始のための「ととのう状態」になるのだと思うのです。
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「晴草刈り」
30日は涼しい感じの晴天。よって庭の草刈り日和。
(今年で3度目。)
そう、この休日二日間は「晴耕雨読」ならずともいわば「晴草雨読」です。
そして考えました。
「雑草」って言葉そもそもなんなん?
植物学的に「雑草」と種あるん?いやないやろ?それぞれがいろんな種なのだから。
それはたぶん、人間側の社会生活で邪魔になる植物・無価値な植物を「雑草」とカテゴリー分けしてるだけなのだろう、と。つまり人間の勝手・都合。
人は草を刈る一方、園芸植物を愛でる。
その姿が造形美的に優れていて、なんだかんだと手入れが必要で、なおかつ希少性のあるモノがだけがより愛され、より価値を持つのだ。
一方、タンポポなどは可愛いけど、人に踏みつけられてもコンクリートだろうとどこでも生えてくる。だから雑草扱いなのだ。なんとも不条理!そういば、朝ドラで植物学者の主人公・牧野富太郎ぼっちゃまは、行きがかりの自由民権運動の集まりで、市井に生きる人々の尊厳を「雑草の逞しさと尊さ」にたとえてぶち上げちゃいましたね。
そう、ある意味、雑草こそ富太郎坊ちゃんが求める自由の体現なのだ!生まれながらに背負った古い家柄の当主の宿命=人間の鑑賞用のなんてまっぴらごめん。生えたい場所に生えるだけさ!
だがそれでも吾輩は草を刈る。なぜなら我が家の庭の雑草だから。吾輩も社会生活営んでる以上、決して自宅の庭の草は放置はしませぬ。「是々非々」なのである。しかし吾輩は負け続けるのだ。2週間もすればこの時期ならほぼ元どうりだ。いや、むしろ刈り取ったことでブワ~ッとドヤ顔でさらに勢いづいくる予感が・・。

半分ほど刈ったところで草刈り機のバッテリーが切れた・・ええぃままよ!と手でむしり取りもしたがとてもとても‥。やはり今日も吾輩の負けだった。はぁ、この雑草の生命力を活かすことはできないのだろうか??
この先、人類が滅んでも雑草は生き残るだろう・・きっと。
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手作りチラシ。
今年は3月卒塾が多かったので、そろそろ新規塾生募集しなくては、と。ずっ~とやらんといかんとおもいつつやっと本日重い腰をあげてみたのだが結局、過去作ってチラシを少し作り替えただけです。
忙しい受験期は「はよ、のんびりしたいの~」とおもってたのに「もうそろそろ忙しくせんとといけんかじゃの~」
(牧野富太郎の高知弁のつもり。あってる?)

5月中に折りこみいれようかな・・?うーん連休明けてから考えよう・・・。(笑)
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自宅から風に吹かれる庭の草をぼんやり見ながらボブ・ディラン一節、鼻歌くちづさんだ。
ではでは、"Happy holidays!"