2019年07月27日
伊万里市立図書館借りて観た映画 「砂の器」
先日のニュースで、安倍総理がハンセン元病患者の家族に、過去の差別的隔離政策等について謝罪する場面が流れました。そのニュースを見て、真っ先に思い出したのが松本清張原作映画「砂の器」です。虚栄と偏見と差別。戦後日本が急激な高度成長期の社会を背景に起こった壮絶な人間ドラマです。
「砂の器」1974 原作:松本清張 監督:野村芳太郎
(以前に観たものの記憶をたどっていますので、ひょっとして記憶違いがあるかもしれません。その場合どうかご容赦を。いわゆる「ネタバレ」には注意して核心になる部分は触れないようにつとめますが、白紙の状態で初見されたい方は、申し訳ありませんがここからは読まれないほうがよいと存じます。)
旧国鉄駅構内で殺人事件が起こる。丹波哲郎と森田健作刑事コンビの粘り強い捜査で犯人のめぼしはつける。しかし、犯人と被害者の接点は?そしてその動機は?なかなか結びつかない。
そしてついにたどりついたのには出雲の国の『亀嵩カメダケ』という土地。丹波哲郎刑事はそこから日本各地を直接訪ね歩いて、複雑に絡みついた糸玉のような謎がを徐々にほぐすようにして犯人逮捕の決め手をつかむ。犯人を逮捕に向かう直前、警察署内会議で経過報告する彼の独特の語りは日本映画史上に残る語り継がれるべき名演技です。このドラマは犯人がわかってからが本当の始まりです。加藤剛扮する主人公が晴れの大舞台で演奏する壮大なピアノ協奏曲「宿命」(芥川也寸志:音楽)はその語りは丹波の語りと重なり、そこから展開する映像中で、主人公にとってけっして明らかにしてはいけない壮絶なる生い立ちを私たちは目の当たりにするのです・・。
日本海沿いをお遍路姿の父(加藤嘉)とその息子がその日ぐらしであてどもなく流れされていきます。父はハンセン病を患い、それに対する偏見で行く先々で差別される。塩をまかれ、罵られ、殴られ、蹴られ、虐げられ流れていく旅路。むしろそれゆえに父と息子の絆はいっそう深まっていく。
ドラマチックな演奏とともに二人は流れる季節うつくしい日本の原風景の中を旅していきます。
やがてたどりついた土地(亀嵩)で、ひとりの巡査に運命的に出会います。(緒方拳) 巡査は彼ら救いの手を差し伸べます。巡査は良かれと思い、病気の父を少年から切り離して病院(隔離施設)におくります。残った少年は巡査夫婦に手厚く育てられますが、いずれ自ら黙って出て行くことになります。
その後長い長い月日が流れドラマ上の現在に至る。彼の父は生きていた。隔離施設でずって再び息子と出会うことを日に日に待っていたのだ。むしろそのことだけを希望のともし火として生きながらえていたのだった・・。そして二人だけの秘密を知りえるもの。そう、あの巡査が、ふとしたきっかけで黙っ出て行ったままの主人公:どん底から今まさに一流ピアニストとして晴れの演奏会の舞台にあがろうとする彼の存在を知ってしまう。そして、その巡査(ずっと父親のことを気にかけて施設に手紙を送っていた)は再び彼ら父と息子を結び付けようと主人公に会うのだった・・。
丹波刑事は裏づけを取るために隔離施設を訪ねてその父親に面会します。現在の主人公の写真を見せ、「あなたの息子でしょう」と迫ります。月日は経ったとはいえ息子のことを一分一秒足りとも忘れなかった父親がどうして見誤ることがありましょうか!?しかし、父親は「こんなひと知らねえ!!」と言い放つのです。(ここで我輩の涙腺は崩壊し、嗚咽してしまいました。)
父親は相手が刑事だったことで察したのでしょう。
松本作品の特徴はローカル列車の旅です。この映画においても、刑事役の丹波哲郎がいろんな地方に列車で出かけていきます。松本清張作品をたどる映画ロケ地めぐりも楽しいかもしれません。ウィキペデアによればロケは亀嵩駅は実際の亀嵩駅ではなく、ホームは出雲八代駅、駅舎は(亀嵩駅と二つ駅違い)八川駅だったらしいです。島根県仁多郡奥出雲町郡にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅 とあります。
長くなりました、ここまで読んでいただきありがとうございます。
それではまたいつか。
「砂の器」1974 原作:松本清張 監督:野村芳太郎
(以前に観たものの記憶をたどっていますので、ひょっとして記憶違いがあるかもしれません。その場合どうかご容赦を。いわゆる「ネタバレ」には注意して核心になる部分は触れないようにつとめますが、白紙の状態で初見されたい方は、申し訳ありませんがここからは読まれないほうがよいと存じます。)
旧国鉄駅構内で殺人事件が起こる。丹波哲郎と森田健作刑事コンビの粘り強い捜査で犯人のめぼしはつける。しかし、犯人と被害者の接点は?そしてその動機は?なかなか結びつかない。
そしてついにたどりついたのには出雲の国の『亀嵩カメダケ』という土地。丹波哲郎刑事はそこから日本各地を直接訪ね歩いて、複雑に絡みついた糸玉のような謎がを徐々にほぐすようにして犯人逮捕の決め手をつかむ。犯人を逮捕に向かう直前、警察署内会議で経過報告する彼の独特の語りは日本映画史上に残る語り継がれるべき名演技です。このドラマは犯人がわかってからが本当の始まりです。加藤剛扮する主人公が晴れの大舞台で演奏する壮大なピアノ協奏曲「宿命」(芥川也寸志:音楽)はその語りは丹波の語りと重なり、そこから展開する映像中で、主人公にとってけっして明らかにしてはいけない壮絶なる生い立ちを私たちは目の当たりにするのです・・。
日本海沿いをお遍路姿の父(加藤嘉)とその息子がその日ぐらしであてどもなく流れされていきます。父はハンセン病を患い、それに対する偏見で行く先々で差別される。塩をまかれ、罵られ、殴られ、蹴られ、虐げられ流れていく旅路。むしろそれゆえに父と息子の絆はいっそう深まっていく。

やがてたどりついた土地(亀嵩)で、ひとりの巡査に運命的に出会います。(緒方拳) 巡査は彼ら救いの手を差し伸べます。巡査は良かれと思い、病気の父を少年から切り離して病院(隔離施設)におくります。残った少年は巡査夫婦に手厚く育てられますが、いずれ自ら黙って出て行くことになります。
その後長い長い月日が流れドラマ上の現在に至る。彼の父は生きていた。隔離施設でずって再び息子と出会うことを日に日に待っていたのだ。むしろそのことだけを希望のともし火として生きながらえていたのだった・・。そして二人だけの秘密を知りえるもの。そう、あの巡査が、ふとしたきっかけで黙っ出て行ったままの主人公:どん底から今まさに一流ピアニストとして晴れの演奏会の舞台にあがろうとする彼の存在を知ってしまう。そして、その巡査(ずっと父親のことを気にかけて施設に手紙を送っていた)は再び彼ら父と息子を結び付けようと主人公に会うのだった・・。
丹波刑事は裏づけを取るために隔離施設を訪ねてその父親に面会します。現在の主人公の写真を見せ、「あなたの息子でしょう」と迫ります。月日は経ったとはいえ息子のことを一分一秒足りとも忘れなかった父親がどうして見誤ることがありましょうか!?しかし、父親は「こんなひと知らねえ!!」と言い放つのです。(ここで我輩の涙腺は崩壊し、嗚咽してしまいました。)

松本作品の特徴はローカル列車の旅です。この映画においても、刑事役の丹波哲郎がいろんな地方に列車で出かけていきます。松本清張作品をたどる映画ロケ地めぐりも楽しいかもしれません。ウィキペデアによればロケは亀嵩駅は実際の亀嵩駅ではなく、ホームは出雲八代駅、駅舎は(亀嵩駅と二つ駅違い)八川駅だったらしいです。島根県仁多郡奥出雲町郡にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅 とあります。
長くなりました、ここまで読んでいただきありがとうございます。
それではまたいつか。

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