2015年05月21日
座布団一枚
英文法『不変の真理は現在形を用いる。』(一例:The earth goes around the sun. 地球は太陽の周りを回る。)と、高校一年生は一学期で習う。
そこでふと思い出したのが、かつての塾生の言葉・・・。

『では、嘘や間違いは現在形では言わないんですね?』
真面目な顔で・・。
お~い、山田君、座布団一枚・・。
(仮定法は過去だけどね・・)
そこでふと思い出したのが、かつての塾生の言葉・・・。

『では、嘘や間違いは現在形では言わないんですね?』
真面目な顔で・・。
お~い、山田君、座布団一枚・・。
(仮定法は過去だけどね・・)
2015年05月11日
英文:日本語のリズム:樋口一葉+はっぴいえんどの場合
英語には抑揚があり、日本語は単調という言い方がされます。たしかにそういう部分がないとはいえませんが、日本語は日本語なりの抑揚があるとおもいます。特に古文や明治期の文章に独自の抑揚を感じることがありますので樋口一葉を例に考えてみようと思います。英文パラグラフの下の日本語は要約です。

Some particular styles of Japanese have special rhythms like English. As you might know, Haiku and Waka poems have specific rules. The number of syllables is regulated, as demonstrated by the 5-7-5 syllabic structure of Haiku, and the 5-7-5-7-7 syllabic structure of Waka. It gives some stresses and rhythms to poems. The sentences of old Japanese literature also sound like these poems. I think the Japanese language has been losing these aspects through modernization since the Meiji era. This is evidenced by the fact that Japanese seems to sound more monotonic.
たくさんの音やリズムをもつ英語に比べればの日本語は単調と言われる しかし五ー七ー五調の俳句や五ー七ー五-七-七調の短歌や古典文学は独特のリズムがあった。しかし現代日本語はその独特の抑揚をどんどん失っているのは明らかであるように思う。

Let me talk about Ichiyo Higuchi, who was a female writer in the Meiji period. One of her masterpieces, “Takekurabe”, refers to “comparing growth of heights”. It’s a kind of virgin-love story of a boy who was born with a silver spoon and a girl who is a child of a Geisha in Yoshiwara, Tokyo. Upon opening the pages of it, I could see vivid scenes of the world through its text. Furthermore, the rhythms of the style are special.It had special rhythms, intonations, and syncopations like music. The style of writing is totally different from our style of writing in modern day Japan. The Japanese language has changed quite a lot. Of course, Ichiyo was greatly influenced by the classic language found in Waka poems. I believe that Japanese used to be much richer in the past than it is today.
樋口一葉の小説を思い出して欲しい。たとえば、たけくらべはいつ終わるかわからない切れ目のない文章でありながら、すっ~と、映像と展開が入ってくる。なにより語られる日本語のリズムの心地良さは気持ちの良い音楽を聴いている感覚に近い。その秘密は独特のリズムある文体である、と考える。一葉作品の朗読を聴いたことがあるが意味を追わなくともただ言葉の音のつらなりだけで気持ちいい。一葉が生きた明治期の文学を読むと現代の日本語よりずっと豊かに感じられるのだが・・。

宮本順子布絵

追記『はっぴいえんど』について
現代日本語の独特の抑揚を徹底的に意識化したのは実はロックミュージシャンであったことは示唆的である。フォーク+ロックバンド『はっぴぃえんど』は日本語のリズムを元来英語の抑揚から生まれたロックのリズムに乗せるという大実験を行った。その実験のもと生み出された現代の日本語による抑揚のある独特の言葉の世界観は高度成長期の東京の原風景を見事に映し出しており、40年経ったいまでも色あせることはないのだ。

Some particular styles of Japanese have special rhythms like English. As you might know, Haiku and Waka poems have specific rules. The number of syllables is regulated, as demonstrated by the 5-7-5 syllabic structure of Haiku, and the 5-7-5-7-7 syllabic structure of Waka. It gives some stresses and rhythms to poems. The sentences of old Japanese literature also sound like these poems. I think the Japanese language has been losing these aspects through modernization since the Meiji era. This is evidenced by the fact that Japanese seems to sound more monotonic.
たくさんの音やリズムをもつ英語に比べればの日本語は単調と言われる しかし五ー七ー五調の俳句や五ー七ー五-七-七調の短歌や古典文学は独特のリズムがあった。しかし現代日本語はその独特の抑揚をどんどん失っているのは明らかであるように思う。

Let me talk about Ichiyo Higuchi, who was a female writer in the Meiji period. One of her masterpieces, “Takekurabe”, refers to “comparing growth of heights”. It’s a kind of virgin-love story of a boy who was born with a silver spoon and a girl who is a child of a Geisha in Yoshiwara, Tokyo. Upon opening the pages of it, I could see vivid scenes of the world through its text. Furthermore, the rhythms of the style are special.It had special rhythms, intonations, and syncopations like music. The style of writing is totally different from our style of writing in modern day Japan. The Japanese language has changed quite a lot. Of course, Ichiyo was greatly influenced by the classic language found in Waka poems. I believe that Japanese used to be much richer in the past than it is today.
樋口一葉の小説を思い出して欲しい。たとえば、たけくらべはいつ終わるかわからない切れ目のない文章でありながら、すっ~と、映像と展開が入ってくる。なにより語られる日本語のリズムの心地良さは気持ちの良い音楽を聴いている感覚に近い。その秘密は独特のリズムある文体である、と考える。一葉作品の朗読を聴いたことがあるが意味を追わなくともただ言葉の音のつらなりだけで気持ちいい。一葉が生きた明治期の文学を読むと現代の日本語よりずっと豊かに感じられるのだが・・。

追記『はっぴいえんど』について
現代日本語の独特の抑揚を徹底的に意識化したのは実はロックミュージシャンであったことは示唆的である。フォーク+ロックバンド『はっぴぃえんど』は日本語のリズムを元来英語の抑揚から生まれたロックのリズムに乗せるという大実験を行った。その実験のもと生み出された現代の日本語による抑揚のある独特の言葉の世界観は高度成長期の東京の原風景を見事に映し出しており、40年経ったいまでも色あせることはないのだ。
2015年04月18日
高校数学チャート式の序文
新高校生が真新しいチャート式数学を持ってきた。
以前にも書いたが、数Ⅰ・A / 数Ⅱ・B / 数Ⅲいづれのチャート式序文の文章は素晴らしい。
人生におけるたいせつなエッセンスが、うつくしい詩のように、あるいは含蓄ある対話文となって、簡潔な文章によって示されているのだ。
高校生は是非、何度も読み見返してほしい。 また大人も読んでほしい。

以前にも書いたが、数Ⅰ・A / 数Ⅱ・B / 数Ⅲいづれのチャート式序文の文章は素晴らしい。
人生におけるたいせつなエッセンスが、うつくしい詩のように、あるいは含蓄ある対話文となって、簡潔な文章によって示されているのだ。
高校生は是非、何度も読み見返してほしい。 また大人も読んでほしい。

2015年04月11日
国見台 春の散歩道:サイモンとガーファンクル聴きながら・・・
桜が散った後のひっそりした国見台公園をi-PODでサイモンとガーファンクル聴きながら、カメラ片手に歩いた。そしていろいろ考えた。

なぜ、ひとは興味あるものに関しては、多くを覚える事が出来るのだろうか?たとえば好きなアイドルやアニメ・ゲームのことは驚くほど詳しくなれる。その一方 興味がないものは覚えられないし・・強制されると、苦手意識ができ、嫌いになる。そしてますます覚えられなくなるのだ。 たとえば、英語の単語の発音がうまくできない。数学の公式が身に付かない。社会理科の用語が頭に入らない。 しまいには『もう いっちょんすかん!!』の連発・・。ウ~ム、どうすればよいのやら・・・・。
そうそう、水泳や自転車を思いだしてみよう・・・。ゆっくりゆっくり慌てずに、徐々になれて行こう。すこしづつでもできるとうれしい、うれしいと楽しくなる、楽しくなると好きになるという好循環をつくろう。脳は身体の一部。無理やりの丸暗記はNG。あせらず、でもあきらめずコツコツと慣らして慣らして・・・。無理に一生懸命覚えようと意識しないでもやればやるほど自然と脳が覚えてくれるのだ。泳ぎや自転車の乗り方はずっと身体が覚えてくれるように・・。

英語を指導している時、よく訊かれるのが『どうしたら英単語覚えたら良いですか?』 その答えは『英語が好きになればいいよ。』(そらそうだ!) では、『どうして好きになればいいのですか?』『英語に慣れ親しむことだよ。』『ではどうやって慣れ親しめば・・?)』 『おとのかたまりつまり語感リズムで覚えるように・・』『え?音のカタマリ?なに?』(ウ~ムまるで禅問答だ。)
・・・では、我輩がどのようにして英語に慣れ親しむようになったのかを、私事ながら・・・。
きっかけは我輩が中学生に入学したお祝いに、サイモンとガーファンクルのベスト曲集のカセットテープを姉に買ってもらったことだ。S&Gの奏でる美しいアコーステックギターのアルペジオの響きとふたりの繊細なハーモニー・・・。意味は分からないが、 英語の気持ちのいい言葉の響き。歌詞カードの英語の文字の並びの美しさに惹かれた。その中に日本語訳の意味さえもよくわかない内省的だけど一度聴いたら忘れられないとても美しいメロディの楽曲があった。 いつか自分で訳して理解したいとおもいました。 それが有名な『サウンド・オフ・サイレンス』。


とても不思議な歌詞だ。まるで村上春樹作品の異空間ワールドのような・・。今あらためて『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味を考えてみても、よくわからない・・。まるで夢分析だ。でも、感覚的にはわかる、とおもう。つまり、頭で理路整然とわかるものではなく、歌詞と音が一体となってつくる世界観に共感を覚えるのだ。芸術とはそういうものだ。

それはともかく、そのテープをもらって以来、事あるごとに何回もS&Gのテープが伸びてしまうまで聴きこんだ。 またいろんな洋楽を聴くようになった。そのうち歌詞が自然と頭に入ってきて覚えられるようになった。リズムのある語感で英語の歌詞のフレーズを身につけるようになったのだ。 『英語は語感=リズムで出来ている』といっても過言ではない、という考えに至りました。このような過程を得て慣用句などの英語のさまざまな表現も覚えられるようになったのだと、思います。 今、こうして英語を教えてるのも、英語を夢中で勉強で出来たのも、この体験がつながってきてるのかな? と。まあ、一個人の例に過ぎないけど・・。 テープをもらってから数十何回目の春S&Gを聴きなおしてそう考えています。
さて、余談ながら、あらためサイモンとガーファンクルの楽曲の素晴らしさに驚いています。アコーステックなミニマルな音作りなのに、音響としての立体感がある。音圧がある。環境音楽(アンビエント)として成り立っている。(今風に言えばフォークトロニカが究極にもとめている音像をS&Gは40年以上も前にコンピュータを使わずに確立していたともいえよう。) たんなる聴き心地のよいポップスではない・・・。これってあまり語れてないようだけど、革新的前衛的な偉業を成したデュオとしてもっと再評価されるべきではないかと思う次第であります。

中・高生はもうぼちぼち新学期の授業も始まってますね、もし勉強で苦手意識が出来てしまったら・・・まずは、『苦手』という心の壁をいったんリセットしよう。出来なくていいから感覚をいっぱい広げて,好奇心や遊び心をもって、とりあえずなにか自分のアンテナにひっかかることがないか、自分なりに探してみよう。
なぜ、ひとは興味あるものに関しては、多くを覚える事が出来るのだろうか?たとえば好きなアイドルやアニメ・ゲームのことは驚くほど詳しくなれる。その一方 興味がないものは覚えられないし・・強制されると、苦手意識ができ、嫌いになる。そしてますます覚えられなくなるのだ。 たとえば、英語の単語の発音がうまくできない。数学の公式が身に付かない。社会理科の用語が頭に入らない。 しまいには『もう いっちょんすかん!!』の連発・・。ウ~ム、どうすればよいのやら・・・・。

そうそう、水泳や自転車を思いだしてみよう・・・。ゆっくりゆっくり慌てずに、徐々になれて行こう。すこしづつでもできるとうれしい、うれしいと楽しくなる、楽しくなると好きになるという好循環をつくろう。脳は身体の一部。無理やりの丸暗記はNG。あせらず、でもあきらめずコツコツと慣らして慣らして・・・。無理に一生懸命覚えようと意識しないでもやればやるほど自然と脳が覚えてくれるのだ。泳ぎや自転車の乗り方はずっと身体が覚えてくれるように・・。
英語を指導している時、よく訊かれるのが『どうしたら英単語覚えたら良いですか?』 その答えは『英語が好きになればいいよ。』(そらそうだ!) では、『どうして好きになればいいのですか?』『英語に慣れ親しむことだよ。』『ではどうやって慣れ親しめば・・?)』 『おとのかたまりつまり語感リズムで覚えるように・・』『え?音のカタマリ?なに?』(ウ~ムまるで禅問答だ。)
・・・では、我輩がどのようにして英語に慣れ親しむようになったのかを、私事ながら・・・。
きっかけは我輩が中学生に入学したお祝いに、サイモンとガーファンクルのベスト曲集のカセットテープを姉に買ってもらったことだ。S&Gの奏でる美しいアコーステックギターのアルペジオの響きとふたりの繊細なハーモニー・・・。意味は分からないが、 英語の気持ちのいい言葉の響き。歌詞カードの英語の文字の並びの美しさに惹かれた。その中に日本語訳の意味さえもよくわかない内省的だけど一度聴いたら忘れられないとても美しいメロディの楽曲があった。 いつか自分で訳して理解したいとおもいました。 それが有名な『サウンド・オフ・サイレンス』。
とても不思議な歌詞だ。まるで村上春樹作品の異空間ワールドのような・・。今あらためて『サウンド・オブ・サイレンス』の歌詞の意味を考えてみても、よくわからない・・。まるで夢分析だ。でも、感覚的にはわかる、とおもう。つまり、頭で理路整然とわかるものではなく、歌詞と音が一体となってつくる世界観に共感を覚えるのだ。芸術とはそういうものだ。
それはともかく、そのテープをもらって以来、事あるごとに何回もS&Gのテープが伸びてしまうまで聴きこんだ。 またいろんな洋楽を聴くようになった。そのうち歌詞が自然と頭に入ってきて覚えられるようになった。リズムのある語感で英語の歌詞のフレーズを身につけるようになったのだ。 『英語は語感=リズムで出来ている』といっても過言ではない、という考えに至りました。このような過程を得て慣用句などの英語のさまざまな表現も覚えられるようになったのだと、思います。 今、こうして英語を教えてるのも、英語を夢中で勉強で出来たのも、この体験がつながってきてるのかな? と。まあ、一個人の例に過ぎないけど・・。 テープをもらってから数十何回目の春S&Gを聴きなおしてそう考えています。
さて、余談ながら、あらためサイモンとガーファンクルの楽曲の素晴らしさに驚いています。アコーステックなミニマルな音作りなのに、音響としての立体感がある。音圧がある。環境音楽(アンビエント)として成り立っている。(今風に言えばフォークトロニカが究極にもとめている音像をS&Gは40年以上も前にコンピュータを使わずに確立していたともいえよう。) たんなる聴き心地のよいポップスではない・・・。これってあまり語れてないようだけど、革新的前衛的な偉業を成したデュオとしてもっと再評価されるべきではないかと思う次第であります。
中・高生はもうぼちぼち新学期の授業も始まってますね、もし勉強で苦手意識が出来てしまったら・・・まずは、『苦手』という心の壁をいったんリセットしよう。出来なくていいから感覚をいっぱい広げて,好奇心や遊び心をもって、とりあえずなにか自分のアンテナにひっかかることがないか、自分なりに探してみよう。

2015年03月21日
『終わりの季節』そして・・。
今日、国立大学後期試験の結果報告に来てくれた。実にいい顔していた・・。きつい時期を乗り越えた者だけしか持ち得ない頼もしさがあった。若い人は短い期間にすごく成長するものだ。
さて、本日2015年3月21日をもって今シーズン(2015年3月)までの大学・高校の受験の季節が終わった・・。一応、みんな落ち着くところに落ち着いたと思いたいのだけど・・・。いやいや・・そんなことない。全員が全員【第一志望どおりの結果】というわけじゃないから・・。
塾としては塾生すべてが【本人が妥協をしない第一志望』どおりの結果を出してはじめて100%満足できるもので、その点では大いに反省しなければならない。では何が足りなかったのか・・・色々思いつく節もあるし、これからも常に考えていかなくちゃならないだろうう・・。
『終わりの季節』そして『始まりの季節』 新しい気持ちで再出発です。
いっきゅうを卒塾する塾生のみなさん、お疲れ様でした。 こんな小さな個人塾に来てくれてどうもありがとう。新しい門出おめでとう。皆さんの今後の活躍祈ってます。いつでも遊びにきてください。
また引き続き高校生になっても来てくれる塾生のみなさん、これからもよろしくお願いします。全力でサポートします。いっしょにがんばりましょう。
【終わりの季節】 細野さん、矢野さん。実にいい音楽。歌詞も心に染み入ります。
一応,ここに今シーズンの当塾の結果を残してます。。
さて、本日2015年3月21日をもって今シーズン(2015年3月)までの大学・高校の受験の季節が終わった・・。一応、みんな落ち着くところに落ち着いたと思いたいのだけど・・・。いやいや・・そんなことない。全員が全員【第一志望どおりの結果】というわけじゃないから・・。
塾としては塾生すべてが【本人が妥協をしない第一志望』どおりの結果を出してはじめて100%満足できるもので、その点では大いに反省しなければならない。では何が足りなかったのか・・・色々思いつく節もあるし、これからも常に考えていかなくちゃならないだろうう・・。
『終わりの季節』そして『始まりの季節』 新しい気持ちで再出発です。
いっきゅうを卒塾する塾生のみなさん、お疲れ様でした。 こんな小さな個人塾に来てくれてどうもありがとう。新しい門出おめでとう。皆さんの今後の活躍祈ってます。いつでも遊びにきてください。

また引き続き高校生になっても来てくれる塾生のみなさん、これからもよろしくお願いします。全力でサポートします。いっしょにがんばりましょう。

【終わりの季節】 細野さん、矢野さん。実にいい音楽。歌詞も心に染み入ります。
一応,ここに今シーズンの当塾の結果を残してます。。
2015年03月14日
数学ガール:数学は自由だ!
数学オリンピックに出場する高校生の動画をみた。そのうちのひとりの女子高生(つまり数学ガール)が『数学って自由だから好き
』と言っていたのが印象的だった。
物理的制約、金銭
、しがらみ、 利害関係・・・つまりめんどくさくて不条理な現実的な諸問題にしばられることなく、紙と鉛筆でどこまでも数学的なルールのしたがってさえいればあとは自由に好きなだけ遊んでいいられる。無限の旅が出来る。そんな世界にどっぷり浸ることができる人たち・・・なんともうらやましことか・・・。
でも、本当に自由である言えるためには、相当な数学の実力を持ち合わせてなければならない。そうでないとただのかっこいいだけの『スローガン』だけになってしまう。 たとえいくら中学数学で偏差値100の成績を上げても所詮中学の数学の範囲でしかない・・。裏庭をかけまわっているワンコにすぎない。ワンワン。
高校の数学になるとその範囲はずっと広がり、自由度は拡張される。中学数学が大得意な新高校生は、高校の広い数学の世界に、自由を感じるかもしれない。でもその分、やることがより厳密になることもたしかだ・・。
ただ高校数学の自由度は大学やその上位の数学から見れば、牧場の羊の自由程度にすぎないのかもなのかもしれない。メエメエ・・。
数学オリンピックのメダルを取るレベルぐらいになると空を自由に舞うトンビあるいは鷲になった気分なのかもしれない。


物理的制約、金銭

でも、本当に自由である言えるためには、相当な数学の実力を持ち合わせてなければならない。そうでないとただのかっこいいだけの『スローガン』だけになってしまう。 たとえいくら中学数学で偏差値100の成績を上げても所詮中学の数学の範囲でしかない・・。裏庭をかけまわっているワンコにすぎない。ワンワン。

高校の数学になるとその範囲はずっと広がり、自由度は拡張される。中学数学が大得意な新高校生は、高校の広い数学の世界に、自由を感じるかもしれない。でもその分、やることがより厳密になることもたしかだ・・。

数学オリンピックのメダルを取るレベルぐらいになると空を自由に舞うトンビあるいは鷲になった気分なのかもしれない。


2015年02月26日
めんどくさい。めんどくさい。ああ、めんどくさい・・・
おはようございます。
塾生が『めんどくさい・・』というと、『もしもし・・そのさいはどこ産の野菜ですか?』あるいは『どこぞの動物園にいるサイですか?』と応答しようにもメンドクサイ質問をする【面倒くさい塾講師】なのです。
さて、以前テレビの放送で宮崎駿さんの最後の上映作品製作のドキュメンタリーがあってました。『めんどくさい。めんどくさい。ああ、めんどくさい・・・』 とこぼしながら、ものすごい細かいことに徹底してこだわって作画されてました。『でも、大事なことはたいていめんどくさいんだよね。』ともおっしゃてました。
うんたしかに・・・そうですね。受験も勉強も部活、仕事・・日常のいろいろなことも・・。何かを成し遂げようとするとき、『めんどくさいこと』のなかにこそ何か大事なことがあるのかもしれません。
塾生が『めんどくさい・・』というと、『もしもし・・そのさいはどこ産の野菜ですか?』あるいは『どこぞの動物園にいるサイですか?』と応答しようにもメンドクサイ質問をする【面倒くさい塾講師】なのです。

さて、以前テレビの放送で宮崎駿さんの最後の上映作品製作のドキュメンタリーがあってました。『めんどくさい。めんどくさい。ああ、めんどくさい・・・』 とこぼしながら、ものすごい細かいことに徹底してこだわって作画されてました。『でも、大事なことはたいていめんどくさいんだよね。』ともおっしゃてました。
うんたしかに・・・そうですね。受験も勉強も部活、仕事・・日常のいろいろなことも・・。何かを成し遂げようとするとき、『めんどくさいこと』のなかにこそ何か大事なことがあるのかもしれません。
2015年01月14日
熱いココアとチョコレートと音楽。
受験生こんばんわ。おつかれですぅ~。
今脳みそはお疲れでありませんか?脳も身体の一部ですので少しは休憩を与えましょう。根を詰めすぎたら、良いひらめきも起こらないかもしれません。出来るものも出来なくなり、覚えられるもの覚えられなくなり、あせる気持ちでストレスで余裕がなくなりという・・・悪循環にならないように気をつけましょう。
我輩も受験生同様、ここのところずっとセンター試験や各大学や高校の過去問の対策でだいぶ脳が疲れております。そこで持続可能な受験勉強をするためはいかに巧くに休憩をとるかがたいせつなことだろうと思う次第です。
休憩時間には熱いココアとチョコと音楽が休めてくれます。ココアにはポリフェノールが多く含まれており疲れの原因である身体の酸化を防ぐ効能があるそうです。また脳にエネルギーを与える意味でも血糖値をあげるチョコレート(受験用のブドウ糖チョコまであるらしい。)です。 あと音楽。左脳は理論右脳は感覚といわれてますが受験勉強は左脳を多く使うので休憩時は左脳を休ませ、その間右脳に刺激を与える意味で左右の脳のバランスが良くなり、リフレッシュと勉強も右脳からの良いひらめきのアシストが期待出来るかもです。
音楽は歌のないゆるやかな音楽を聴いてます。(歌があっても意味のわかならいものならOK。)脳のみをマッサージしてくれるような音楽。モーツルト・バッハは良いと良く耳にしますね。我輩も去年までは良く聴いてましたよ。今年はインストルメンタルだけの映画音楽やラテン系です。ゆるやかなボサノバやタンゴ、あるいはファドというポルトガルの民俗音楽を良く聴いてます。このような音楽は中・高生はあまり馴染みがないとおもいますが・・。
まあ、とにかく休憩をうまく活用すると、さあまたやろうっ!という気持ちも沸いてきます。 では、お互い最後の最後までがんばりましょう。
今脳みそはお疲れでありませんか?脳も身体の一部ですので少しは休憩を与えましょう。根を詰めすぎたら、良いひらめきも起こらないかもしれません。出来るものも出来なくなり、覚えられるもの覚えられなくなり、あせる気持ちでストレスで余裕がなくなりという・・・悪循環にならないように気をつけましょう。
我輩も受験生同様、ここのところずっとセンター試験や各大学や高校の過去問の対策でだいぶ脳が疲れております。そこで持続可能な受験勉強をするためはいかに巧くに休憩をとるかがたいせつなことだろうと思う次第です。
休憩時間には熱いココアとチョコと音楽が休めてくれます。ココアにはポリフェノールが多く含まれており疲れの原因である身体の酸化を防ぐ効能があるそうです。また脳にエネルギーを与える意味でも血糖値をあげるチョコレート(受験用のブドウ糖チョコまであるらしい。)です。 あと音楽。左脳は理論右脳は感覚といわれてますが受験勉強は左脳を多く使うので休憩時は左脳を休ませ、その間右脳に刺激を与える意味で左右の脳のバランスが良くなり、リフレッシュと勉強も右脳からの良いひらめきのアシストが期待出来るかもです。
音楽は歌のないゆるやかな音楽を聴いてます。(歌があっても意味のわかならいものならOK。)脳のみをマッサージしてくれるような音楽。モーツルト・バッハは良いと良く耳にしますね。我輩も去年までは良く聴いてましたよ。今年はインストルメンタルだけの映画音楽やラテン系です。ゆるやかなボサノバやタンゴ、あるいはファドというポルトガルの民俗音楽を良く聴いてます。このような音楽は中・高生はあまり馴染みがないとおもいますが・・。
まあ、とにかく休憩をうまく活用すると、さあまたやろうっ!という気持ちも沸いてきます。 では、お互い最後の最後までがんばりましょう。
2014年03月22日
チャート式前文
今年の受験シーズンもようやく終わりました。受験生の皆さんお疲れ様でした。今後もいろんな場面で受験することはあろうかとおもいます。今回の経験はそのとき活きてくることでしょう。
さて、高校数学問題集の定番である【チャート式】 好き嫌いが分かれる参考書です。他の口述講座型の問題集(細野氏・坂田氏の問題集有名ですね)とはちがって説明が抑えてある(考えさせるため、あえて?)ので、数学が苦手な方に評判はう~んってとこですかね。
これで良し!とするひとは数学がまずまず得意なほうではないかと思います。
さて、チャート式を持っている高校生のうちが果たしてどのくらいの割合がその前文を読んでいるのでしょうか・・・?
数学を勉強することの意義、勉強心得や取り組み方がすばらしい文章で記述されてます。チャート:Charts海図という言葉からも受けとれるように単に数学の勉強に限ることなく『人生という大海を航海する』という生き方の教えに通じる品格を感じます。
数学の勉強に疲れたとき、たまに読み返します。
元気が出ます。

さて、高校数学問題集の定番である【チャート式】 好き嫌いが分かれる参考書です。他の口述講座型の問題集(細野氏・坂田氏の問題集有名ですね)とはちがって説明が抑えてある(考えさせるため、あえて?)ので、数学が苦手な方に評判はう~んってとこですかね。
これで良し!とするひとは数学がまずまず得意なほうではないかと思います。
さて、チャート式を持っている高校生のうちが果たしてどのくらいの割合がその前文を読んでいるのでしょうか・・・?
数学を勉強することの意義、勉強心得や取り組み方がすばらしい文章で記述されてます。チャート:Charts海図という言葉からも受けとれるように単に数学の勉強に限ることなく『人生という大海を航海する』という生き方の教えに通じる品格を感じます。
数学の勉強に疲れたとき、たまに読み返します。
元気が出ます。
2014年03月01日
地理はたのし。
英語で『アームチェアトラベラー』なる言葉があります。アームチェアに揺られながら、ガイドブックや地図を眺めて旅行気分を楽しむことを意味するそうです。もちろん、コタツの中やソファベットでも構いませが・・・。地理を勉強することは『アームチェアトラベラー』になることとよく似ていると思います。世界・国内各地の名所旧跡・文化や産業・気候を知ること・・・こんなに楽しめる教科ってある?
勉強した場所をいつか実際に訪れてみる・・・またそれもたのし。
私が個人的に行きたい場所:アイルランドでアイリッシュダンスを見る。ロンドン骨董屋・古本・古レコード店めぐり。またビアトリクス・ポターで有名なイギリス湖水地方を散策。ドイツグリム童話のゆかりの地。夏の北欧の旅は忙しい。まず蚤の市めぐり。そしてムーミンアンデルセンのゆかりの地周遊。日本は北陸の工芸品屋さんめぐり。東北で(柳田國男・宮沢賢治の世界)を探訪。山陰の植田正治美術館見学。東京の神保町古本屋めぐり・・・。
いきたいなあ・・・。
受験生のみなさんも、入試が終わったらどこか旅行でもいきたいですね。
それまでもうあとすこしですね。

勉強した場所をいつか実際に訪れてみる・・・またそれもたのし。
私が個人的に行きたい場所:アイルランドでアイリッシュダンスを見る。ロンドン骨董屋・古本・古レコード店めぐり。またビアトリクス・ポターで有名なイギリス湖水地方を散策。ドイツグリム童話のゆかりの地。夏の北欧の旅は忙しい。まず蚤の市めぐり。そしてムーミンアンデルセンのゆかりの地周遊。日本は北陸の工芸品屋さんめぐり。東北で(柳田國男・宮沢賢治の世界)を探訪。山陰の植田正治美術館見学。東京の神保町古本屋めぐり・・・。
いきたいなあ・・・。
受験生のみなさんも、入試が終わったらどこか旅行でもいきたいですね。
それまでもうあとすこしですね。


2014年02月25日
天気予報はたのし。
こんにちは。オリンピック終わりましたね。でも、ワタシは受験シーズンど真ん中とあってソチそっちのけ状態でした。
さて、だいぶ春めいてきました。でもあと何回かは寒気がシベリヤ方面から「Привет -プリヴェート(ヤア)」と挨拶にくるのではないかと思うのですが・・・いかがでしょう?
お天気といえば天気予報。塾が終わるのが夜の10時過ぎなので夕食とりながら報道ステーションの青山さんのお天気コーナーを見るのが毎晩のお決まりです。
正直、今まではこのお上品なお天気キャスターに見とれてしまって、あまり天気のことは頭にはいってこなかったのです
・・・。でも中学理科の天気、たとえば気圧配置図 前線、西高東低、シベリア気団(シベリアの楽団のようですね。ドンドコドン。小笠原気団などなどをあらためて勉強していると、天気の変化(大気動き)のしくみが良く分かってきます。見ていて楽しいです。『なるほど分かるというのは、楽しいものなのだ!!』とあらためて実感してます。塾生にもこの実感を経験してほしいものです。
ところで天気予報士の資格、難しいのだろうか?まあ取ったところでどうなることでもないけど・・・。

さて、だいぶ春めいてきました。でもあと何回かは寒気がシベリヤ方面から「Привет -プリヴェート(ヤア)」と挨拶にくるのではないかと思うのですが・・・いかがでしょう?
お天気といえば天気予報。塾が終わるのが夜の10時過ぎなので夕食とりながら報道ステーションの青山さんのお天気コーナーを見るのが毎晩のお決まりです。
正直、今まではこのお上品なお天気キャスターに見とれてしまって、あまり天気のことは頭にはいってこなかったのです


ところで天気予報士の資格、難しいのだろうか?まあ取ったところでどうなることでもないけど・・・。
2014年01月02日
初授業と今年の新しくやりたいこと。
あけましておめでとうございます。去年の年末は冬季講座やらなんやらで、すっかりご無沙汰でした。書きたいことはそれこそ日々3回づつ更新したいぐらいあるのですが、その日のうちに書かないと忘れてしまいます。そうやってサボりだすと、もうブログのことも忘却の彼方に行ってしまいます。今日は朝から初授業でした。2日の朝からの授業・・・新鮮で気持ちの良いものでした。
さて、本年、新しくやりたいこと。
ひとつめ。『中学五教科』を教えることです。『理科ムズイ・・・』と言う声が多かったのが動機です。もうすでに希望者には理科を不定期に教えてます。春ごろには理科の本格授業を行うつもりです。『社会科』もできれば夏休みぐらいに出来たらとおもってます・・でもまずは要望の多い『理科』です。というわけで短い正月休み(明日からもう講習です。)は理科と受験英数国の対策準備に追われてます。
でもまあ、ほかの塾さんから見れば五教科対応?そんなこと当たり前でしょ?といわれるかもしれませんが、当塾は英語専門塾から始まったのです。大人から小学生までの、英会話、英検、TOEIC,たまにTOEFそして大学、高校の受験英語を専門に教えてるうちに数学の要望が多かったので中学高校生向けの英数専門塾になり、そしてやはり国語は大事でしょ。というわけで中学生には国語。そして、この春に要望の多かった理科が加わり、そしてオオトリのみんな大好き?! でもないか・・社会科もやります。・・というわけで中学五教科も今年は教えたいのです。(で?だからなに?と言われるかもしれませんが・・)これがいっきゅうのささやかな歴史です。特に季節講座や定期試験の対策で理・社も力を入れていきたいです。現役学生のときより勉強してます。ああ、あの時もっとやっとけば・・・反面教師の塾講師です。
次にやりたいことは、『IQ文庫』開設です。すでに小さな文庫は自主学習室にあったのですが、別室に独立させます。私のお気に入りの本ばかりを並べます。とくに絵本・洋書絵本は充実させます。いわば『絵本のセレクトショップ』です。以前このブログも書きましたが絵本はおとなにもお勧めです。というか、絵本はおとなこそ読むべきなのでは?と思ってるぐらいです。映画や小説と違って時間もとられないし・・・こころの滋養になりますよ。かくいう私もストレスがたまるこの受験の季節にたまに絵本を開くとこころがすっーが軽くなります。並べるものはおとなが十分楽しめるものばかりです。私はもともとアート好きだったので『絵=芸術性を重視』して選んでます。絵本美術館とまではいきませんが『無料コーヒーがたまに出るかもしれないブックカフェ風』目指したいです。
絵本のほかは、アート系、サブカル系、旅、雑貨、エッセイ等々・・・。内容もさることながら、その本そのものが、すぐそばにおいて置きたくなるようなものを集めてるつもりです。(なんだか電子書籍の時代に正反対のことをしてますね。) さらに、本の周りには癒し系リヤドロ、ブライスあるいは国内外の無名の手作り民芸人形を展示します。また和洋アンティークな小物、ヴィンテージな北欧雑貨類も少々ですが置いていくつもりです。どこかなつかしく温もりのある雰囲気でくつろげる空間を提供できたら、と考えてます。
音楽も充実です。30年以上も前のレコードプレイヤーとスピーカーですが音がすごく良いです。IPODや WALKMANとの相性も抜群ですので昔から最新のいい音楽(特に映画音楽)いい音が聴けますよ。
春休みぐらいをめどにオープンするつもりです。建具系はおむねできました。あとは陳列です。この準備はすごく楽しみなのですが、今から受験まで3月中旬ぐらいまで何も出来ないと思います。受験が落ち着けば、展示しながら絵本史、国内外の絵本作家・作品論を自分なりに研究しようと思っています・・・。営業時間は正午前ぐらいから、塾が始まる5時前ぐらいに閉店します。それからは塾生ら(ちょっとした休憩場所)と送迎の親御さんに開放します。
ああ・・・たくさん書き過ぎましたね。今後はIQ文庫について詳しくはこのリンク先に書いていこうと存じます。 ここまで読んでいただきありがとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。では、次回までごきげんよう!!
細野晴臣さんの『はらいそ』アニメはさくらももこさん。
どこか不思議な懐かしさと無国籍な異国情緒。こんな感じもいいよな・・。
さて、本年、新しくやりたいこと。
ひとつめ。『中学五教科』を教えることです。『理科ムズイ・・・』と言う声が多かったのが動機です。もうすでに希望者には理科を不定期に教えてます。春ごろには理科の本格授業を行うつもりです。『社会科』もできれば夏休みぐらいに出来たらとおもってます・・でもまずは要望の多い『理科』です。というわけで短い正月休み(明日からもう講習です。)は理科と受験英数国の対策準備に追われてます。
でもまあ、ほかの塾さんから見れば五教科対応?そんなこと当たり前でしょ?といわれるかもしれませんが、当塾は英語専門塾から始まったのです。大人から小学生までの、英会話、英検、TOEIC,たまにTOEFそして大学、高校の受験英語を専門に教えてるうちに数学の要望が多かったので中学高校生向けの英数専門塾になり、そしてやはり国語は大事でしょ。というわけで中学生には国語。そして、この春に要望の多かった理科が加わり、そしてオオトリのみんな大好き?! でもないか・・社会科もやります。・・というわけで中学五教科も今年は教えたいのです。(で?だからなに?と言われるかもしれませんが・・)これがいっきゅうのささやかな歴史です。特に季節講座や定期試験の対策で理・社も力を入れていきたいです。現役学生のときより勉強してます。ああ、あの時もっとやっとけば・・・反面教師の塾講師です。
次にやりたいことは、『IQ文庫』開設です。すでに小さな文庫は自主学習室にあったのですが、別室に独立させます。私のお気に入りの本ばかりを並べます。とくに絵本・洋書絵本は充実させます。いわば『絵本のセレクトショップ』です。以前このブログも書きましたが絵本はおとなにもお勧めです。というか、絵本はおとなこそ読むべきなのでは?と思ってるぐらいです。映画や小説と違って時間もとられないし・・・こころの滋養になりますよ。かくいう私もストレスがたまるこの受験の季節にたまに絵本を開くとこころがすっーが軽くなります。並べるものはおとなが十分楽しめるものばかりです。私はもともとアート好きだったので『絵=芸術性を重視』して選んでます。絵本美術館とまではいきませんが『無料コーヒーがたまに出るかもしれないブックカフェ風』目指したいです。
絵本のほかは、アート系、サブカル系、旅、雑貨、エッセイ等々・・・。内容もさることながら、その本そのものが、すぐそばにおいて置きたくなるようなものを集めてるつもりです。(なんだか電子書籍の時代に正反対のことをしてますね。) さらに、本の周りには癒し系リヤドロ、ブライスあるいは国内外の無名の手作り民芸人形を展示します。また和洋アンティークな小物、ヴィンテージな北欧雑貨類も少々ですが置いていくつもりです。どこかなつかしく温もりのある雰囲気でくつろげる空間を提供できたら、と考えてます。
音楽も充実です。30年以上も前のレコードプレイヤーとスピーカーですが音がすごく良いです。IPODや WALKMANとの相性も抜群ですので昔から最新のいい音楽(特に映画音楽)いい音が聴けますよ。
春休みぐらいをめどにオープンするつもりです。建具系はおむねできました。あとは陳列です。この準備はすごく楽しみなのですが、今から受験まで3月中旬ぐらいまで何も出来ないと思います。受験が落ち着けば、展示しながら絵本史、国内外の絵本作家・作品論を自分なりに研究しようと思っています・・・。営業時間は正午前ぐらいから、塾が始まる5時前ぐらいに閉店します。それからは塾生ら(ちょっとした休憩場所)と送迎の親御さんに開放します。
ああ・・・たくさん書き過ぎましたね。今後はIQ文庫について詳しくはこのリンク先に書いていこうと存じます。 ここまで読んでいただきありがとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。では、次回までごきげんよう!!
細野晴臣さんの『はらいそ』アニメはさくらももこさん。
どこか不思議な懐かしさと無国籍な異国情緒。こんな感じもいいよな・・。
2013年10月01日
家出と絵本
あの千葉の行方不明だった女子高生が無事見つかったそうですね。『ああ、生きててよかった。』と、多くひとが安堵したはずです。報道によれば、77日もの間一人で野宿して生きていたそうです。女の子が巻き込まれるむごい事件が多い昨今、無事だったことは何よりです。本人は切羽詰った思いを抱えきれなかったのでしょうか・・・。そして関係者はどんなに心配だったことでしょう・・・。
それにしても彼女、この間、どんな思い、何を考えてその間を過ごしていたのだろう・・・?見つかったところが神社の祠ということで、神様にいろいろ悩みを聞いて貰ったのでしょうか?野山果実や畑の作物を食べていたらしいので必死に生きようとしていたことだけはわかります。
さて、この事件を聞いて、絵本の名作、『わたしのきもちをきいて。家出編 手紙編』 (ガブリエルバンサン 作) のことを思い出さないわけいきません・・・。多感な少女の家出のお話を見事な水彩画で描かれています。少女の『モノローグ』が絵本のナレーションです。どうやら、大好きなおとおさんとおかあさんに不満がありそうです。森に迷い込んだり、大きなお屋敷の庭に這いこんだり、小さな冒険をします。ひとりでいたかったはずが、いつのまにさみしくてたまらなくなります。そしておとうさんおかあさんに、あいたくて、あいたくて、おうちにかえりたくなります。手紙を書いて、おとうさんおかあさんに素直な気持ちを伝えようとします・・。

迷い込んでしまった森の中たったひとり・・・不安でいっぱい・・・そこで彼女にとってほんとうたいさつなひとが誰かを、おもい知らされます。そして、直接ではないにしても、手紙という形で気持ちを伝えようと決心します・・・ここに少女の成長が伺えます。
絵本の少女はまだ小学生のようです。千葉の女子高生はもうちょっと事情が複雑なのかもしれません。衰弱していてまだ何も話してないそうですが、回復したら彼女のこの『ちょっと人騒がせな大冒険』をゆっくりく聞いてみたい気もします。
それにしても彼女、この間、どんな思い、何を考えてその間を過ごしていたのだろう・・・?見つかったところが神社の祠ということで、神様にいろいろ悩みを聞いて貰ったのでしょうか?野山果実や畑の作物を食べていたらしいので必死に生きようとしていたことだけはわかります。
さて、この事件を聞いて、絵本の名作、『わたしのきもちをきいて。家出編 手紙編』 (ガブリエルバンサン 作) のことを思い出さないわけいきません・・・。多感な少女の家出のお話を見事な水彩画で描かれています。少女の『モノローグ』が絵本のナレーションです。どうやら、大好きなおとおさんとおかあさんに不満がありそうです。森に迷い込んだり、大きなお屋敷の庭に這いこんだり、小さな冒険をします。ひとりでいたかったはずが、いつのまにさみしくてたまらなくなります。そしておとうさんおかあさんに、あいたくて、あいたくて、おうちにかえりたくなります。手紙を書いて、おとうさんおかあさんに素直な気持ちを伝えようとします・・。
迷い込んでしまった森の中たったひとり・・・不安でいっぱい・・・そこで彼女にとってほんとうたいさつなひとが誰かを、おもい知らされます。そして、直接ではないにしても、手紙という形で気持ちを伝えようと決心します・・・ここに少女の成長が伺えます。
絵本の少女はまだ小学生のようです。千葉の女子高生はもうちょっと事情が複雑なのかもしれません。衰弱していてまだ何も話してないそうですが、回復したら彼女のこの『ちょっと人騒がせな大冒険』をゆっくりく聞いてみたい気もします。
2013年07月02日
『日曜美術館』と『美の巨人たち』
『日曜美術館』と『美の巨人たち』は数少ない、楽しみにしているテレビ番組です。
古今東西のすばらしい芸術家の作品と作家の半生を楽しみながら勉強できます。
前回の『日曜美術館』はベルギーの印象派 『エミール・クラウス』
先々週は美の巨人では アメリカのアメリカン・リアリズムの『アンドリューワイエス』が特集されていました。
ゆったりした田園風景に描きこまれた人々の暮らしや人生・・・。
いつか本物をゆっくり見てみたいです。
せめて画集は手元にもっておきたいと思い、この絵画の表紙の画集を注文しちゃいました。
これからいろいろ集めていきたいです。
古今東西のすばらしい芸術家の作品と作家の半生を楽しみながら勉強できます。
前回の『日曜美術館』はベルギーの印象派 『エミール・クラウス』
先々週は美の巨人では アメリカのアメリカン・リアリズムの『アンドリューワイエス』が特集されていました。
ゆったりした田園風景に描きこまれた人々の暮らしや人生・・・。
いつか本物をゆっくり見てみたいです。
せめて画集は手元にもっておきたいと思い、この絵画の表紙の画集を注文しちゃいました。

2013年06月11日
現在過去未来:英文法の数学的時制
持論、(既に誰かが言ってるかもしれませんが・・)『英語を文法どおりにキッチリおしゃべりできる人は数学がよく出来る。』 なぜなら英文法は驚くほど精密に数学的に完成されているから。
昨日も今日も明日たぶんその次の日も続く動詞は英語では現在形を使う。always ,often, sometimes, seldomなど 頻度を表す副詞を伴うことが多い。運動の軌跡が連続であり変化に幅があるかぎり、微分できる、と数学は言う。微分て何? 運動のある瞬間の変化。日常を微分してみよう。昨日今日明日が穏やかに推移しているならば、任意のある時点でその変化の増減とその勢いを測定できる。ある特定の時間をどんどん細かく区切ってみるとその時点のおける具体的行為のライブ中継となり、その一瞬の動詞は進行形になる。そしてその進行形を積み重ねていくと、一時の変化の集積は日常化・習慣化し、動詞は現在形となる。まるで定積分のようではないか!!
英語の時制は数学で使う数直線である、といえる。零=現在を中心に左右=過去未来に数直線に上に無限に伸びてゆく、英文法の完了形は現在・未来・過去へと数直線上をすべるように移動します。まるで2次関数の平方を完成してその軸を移動させた時点での完了形の基点でのようである、と思ったことありませんか?
時制に限らず英語は実に数学的です。(この辺はまたいつか・・・。) 数学が苦手な人には申し訳ないけど、事実です。
でも心配ご無用。英語は数学的ですが、やさしい数学です。経験に基づく数学のようなものなので少しだけでも数学的に考えてみるときちんとした英語できるようになります。
というわけで文系の人、数学もあきらめないでがんばりましょう!
じゃ、またね~。
昨日も今日も明日たぶんその次の日も続く動詞は英語では現在形を使う。always ,often, sometimes, seldomなど 頻度を表す副詞を伴うことが多い。運動の軌跡が連続であり変化に幅があるかぎり、微分できる、と数学は言う。微分て何? 運動のある瞬間の変化。日常を微分してみよう。昨日今日明日が穏やかに推移しているならば、任意のある時点でその変化の増減とその勢いを測定できる。ある特定の時間をどんどん細かく区切ってみるとその時点のおける具体的行為のライブ中継となり、その一瞬の動詞は進行形になる。そしてその進行形を積み重ねていくと、一時の変化の集積は日常化・習慣化し、動詞は現在形となる。まるで定積分のようではないか!!
英語の時制は数学で使う数直線である、といえる。零=現在を中心に左右=過去未来に数直線に上に無限に伸びてゆく、英文法の完了形は現在・未来・過去へと数直線上をすべるように移動します。まるで2次関数の平方を完成してその軸を移動させた時点での完了形の基点でのようである、と思ったことありませんか?
時制に限らず英語は実に数学的です。(この辺はまたいつか・・・。) 数学が苦手な人には申し訳ないけど、事実です。

というわけで文系の人、数学もあきらめないでがんばりましょう!

じゃ、またね~。

2013年06月03日
高1の数学風景
毎年この時期、新・高校一年生は、多かれ少なかれ、高校数学に圧倒されまくってる気がします。すくなくとも当塾では今まではそうでしたし、今年もそうです。彼・彼女らは決して中学では数学が苦手ではなく、いやむしろ出来ていた方なのですが・・・はて、どうしてだろう?
いろいろ意見を聞いてみると、授業のペースが早い。教科書があまりにもぶっきらぼう。宿題多い。
また内容としては、よく分からない文字が出てき、場合分けを一々しなくちゃならなかったり、一生懸命計算した結果、『解なし』あるいは『すべての実数』であったり、と、中学の数学からするとすっきり正解が出なくて気持ちが良くないと口を揃えます・・・・。
要するにこれまで学んできた数学風景ががらりと変わってしまい違和感を覚えているようです。ふむむ・・・。
中学の数学はある意味、取り扱う範囲がセーフティネットの囲いの中で限定的に勉強して来たのだといえるのかもしれません。しかも走るべきトラックがあらかじめ示されているような・・・。(直線的に解いていけばかならずひとつの正解にたどり着くように仕組まれてある。)高校数学ははそのネットがかなり拡張されて、扱うその数がいったいどういう範疇のものであるか、常に意識しなきゃならないわけです・・・。
でも、この山をガンバってどうにか乗り越えると、これから学んでゆく高校数学の光景がさっ~と拡がります。その光景とはこれから越えるべきいくつもの山々です。どれも平坦なものはありませんが、山をひとつひとつ超えてゆくたびにさらに新しい数学の風景が開けててゆきます。私は彼・彼女らの良きシェルパ役でありたいと考えています。
さて、前置きが長くなりましたが、南みやこ著「『なぜ?どうして』をとことん考える高校数学」という本は参考になります。著者は立派な論文を書かれた数学者であり教師であるが、その高校時代はけっして他の生徒と比べて数学が出来たわけでもなく、むしろ、違和感とぎこちなさを常に感じていたそうです。
著者はなんでもいちいち突き詰める性格で、疑問があるとそれが分かるまで前に進めない性格の女子高生だったようです。近頃のように分かりやすい参考書や進学塾もあまり一般的でない時代、女子高生ひとりが、ぶっきらぼうな教科書を片手に、数学的ひらめき派の男子生徒を尻目にいかに高校数学に立ち向かったか、回想録のように語ってゆきます。面白いですよ。

じゃあまたね~。
いろいろ意見を聞いてみると、授業のペースが早い。教科書があまりにもぶっきらぼう。宿題多い。


中学の数学はある意味、取り扱う範囲がセーフティネットの囲いの中で限定的に勉強して来たのだといえるのかもしれません。しかも走るべきトラックがあらかじめ示されているような・・・。(直線的に解いていけばかならずひとつの正解にたどり着くように仕組まれてある。)高校数学ははそのネットがかなり拡張されて、扱うその数がいったいどういう範疇のものであるか、常に意識しなきゃならないわけです・・・。
でも、この山をガンバってどうにか乗り越えると、これから学んでゆく高校数学の光景がさっ~と拡がります。その光景とはこれから越えるべきいくつもの山々です。どれも平坦なものはありませんが、山をひとつひとつ超えてゆくたびにさらに新しい数学の風景が開けててゆきます。私は彼・彼女らの良きシェルパ役でありたいと考えています。

さて、前置きが長くなりましたが、南みやこ著「『なぜ?どうして』をとことん考える高校数学」という本は参考になります。著者は立派な論文を書かれた数学者であり教師であるが、その高校時代はけっして他の生徒と比べて数学が出来たわけでもなく、むしろ、違和感とぎこちなさを常に感じていたそうです。
著者はなんでもいちいち突き詰める性格で、疑問があるとそれが分かるまで前に進めない性格の女子高生だったようです。近頃のように分かりやすい参考書や進学塾もあまり一般的でない時代、女子高生ひとりが、ぶっきらぼうな教科書を片手に、数学的ひらめき派の男子生徒を尻目にいかに高校数学に立ち向かったか、回想録のように語ってゆきます。面白いですよ。

じゃあまたね~。
2013年05月22日
限りなく零に近い分母>>無常の世界
こんにちは。
ええ・・唐突ですが小説家の村上龍さんは数学の極限を知ってあの『限りなく透明に近いブルー』を書いたのでしょうか?それともただ単にたまたま数学的用語を使っただけなのか?いや逆から言うと数学用語、というか数学そのものが文学的である、といっていいのかもしれません。意外にこれが・・・。
数式x分1のxを限りなくプラス側マイナス側から零に近づけていけば・・・例えば適当にプラス0.0…1やマイナス0.0…1など代入してみると・・・。あるいは、中1で習う反比例の式をイメージしても分かるように・・・・・。そう、どちらも、ゼロに近づけば近づくほどプラス側はプラス無限大に、マイナス側はマイナス方向へ無限大へ伸びていきますよね。
これって人生の無常を感じませんか?

両者がほぼ同一化したといって良いくらい歩み寄ったとき、、つまり限りなく零に近い値となったとき(限りなく透明に近づいたとき)両者はもう無限大まで離れ離れなってしまっている・・・じゃあ、いっそのこと分母を零にしちゃえばって?いや~それはダメです。数学の恐るべき掟に背信してしまうんですね(分母零を認めると数学的に不都合が起こる場合が出てくる。だから証明問題のときなど分母が零でないことをいちいち明示しなくちゃならんのですね。 )。 逆に引き離す数を無限に代入すると、双方が零に限りなく近づいていくという・・・。
なんだかね、方丈記的な気がするんですよ・・・・。ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし・・・。
”you can't always get what you want. 邦題:無常の世界” The Rolling Stones
ええ・・唐突ですが小説家の村上龍さんは数学の極限を知ってあの『限りなく透明に近いブルー』を書いたのでしょうか?それともただ単にたまたま数学的用語を使っただけなのか?いや逆から言うと数学用語、というか数学そのものが文学的である、といっていいのかもしれません。意外にこれが・・・。
数式x分1のxを限りなくプラス側マイナス側から零に近づけていけば・・・例えば適当にプラス0.0…1やマイナス0.0…1など代入してみると・・・。あるいは、中1で習う反比例の式をイメージしても分かるように・・・・・。そう、どちらも、ゼロに近づけば近づくほどプラス側はプラス無限大に、マイナス側はマイナス方向へ無限大へ伸びていきますよね。
これって人生の無常を感じませんか?

両者がほぼ同一化したといって良いくらい歩み寄ったとき、、つまり限りなく零に近い値となったとき(限りなく透明に近づいたとき)両者はもう無限大まで離れ離れなってしまっている・・・じゃあ、いっそのこと分母を零にしちゃえばって?いや~それはダメです。数学の恐るべき掟に背信してしまうんですね(分母零を認めると数学的に不都合が起こる場合が出てくる。だから証明問題のときなど分母が零でないことをいちいち明示しなくちゃならんのですね。 )。 逆に引き離す数を無限に代入すると、双方が零に限りなく近づいていくという・・・。
なんだかね、方丈記的な気がするんですよ・・・・。ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし・・・。
”you can't always get what you want. 邦題:無常の世界” The Rolling Stones
2013年04月20日
珈琲と英語とタブレットと、
最近の私のほっとするタイムはソファで珈琲をすすりながら タブレットでいろいろ動画を見ることです。落語とか70’s 洋楽(レアな音源ものありますね。)など楽しんでいます。
言うまでもなく英語動画はふんだんにアップされ続けていますね。
それら無料で手軽に見られるのだから、これを利用する手はない!
たとえばYou Tubeにいくつかの米国の大学がフリーで授業を公開しています。
ためしに微分積分differential /integral calculus equationsの講義を見てみると、数Ⅱ~Ⅲの基礎レベルのものありました。履修した高校生は見てごらん。たぶん、だいたいは理解できるはず。概念・定義から入っていくから分かりやすいし、英語で聞くと新鮮な感じで理解も新たになっていくかも・・・。
いずれ留学したい人なら、文学・経済・物理・化学・生物・環境・ビジネス・・・など関心のある分野で耳慣れしておくのも良いですよね。興味のある分野なら理解しやすいと思うし・・・。(それに最近は日本の大学でも英語で授業を進めるところもあるらしい)いずれにせよ、講義を英語でノートを取る練習しとくといいと思います。
さらに自分が関心ある人たちの英語のインタビューやスピーチも耳に入りやすいと思います。たとえば、私の場合、タブレット端末の生みの親のSteve Jobsの話。 この人ほど、20世紀から21世紀をまたがって、多くの人々に影響与えたひとはいなんじゃないかな?と個人的に思っています。切れ味とユーモアと知性があり、カリスマ性が伺えます。
Stay hungry! Stay foolish!
関心のあることや興味のある人々の英語で日常的に見たり聞いたりしているだけで、少々高度な内容の話でも、だんだん理解できるようになるとおもいます。
本来、英語はそれ自体を勉強するものというより、何かを勉強するための道具であるべきものです。いずれ英語で自らのsomethingを発信できるようになることが今からの世代には求められているのだと思います。Think Different!
そんなこんなで、いろんな場所で手軽に勉強ができるタブレット。その昔、洋画のビデオの英語の字幕表示機を買おうかとしていた時代からすると夢のようです。
ガウス星人だよ~。
じゃあまたね~。
言うまでもなく英語動画はふんだんにアップされ続けていますね。
それら無料で手軽に見られるのだから、これを利用する手はない!
たとえばYou Tubeにいくつかの米国の大学がフリーで授業を公開しています。
ためしに微分積分differential /integral calculus equationsの講義を見てみると、数Ⅱ~Ⅲの基礎レベルのものありました。履修した高校生は見てごらん。たぶん、だいたいは理解できるはず。概念・定義から入っていくから分かりやすいし、英語で聞くと新鮮な感じで理解も新たになっていくかも・・・。
いずれ留学したい人なら、文学・経済・物理・化学・生物・環境・ビジネス・・・など関心のある分野で耳慣れしておくのも良いですよね。興味のある分野なら理解しやすいと思うし・・・。(それに最近は日本の大学でも英語で授業を進めるところもあるらしい)いずれにせよ、講義を英語でノートを取る練習しとくといいと思います。
さらに自分が関心ある人たちの英語のインタビューやスピーチも耳に入りやすいと思います。たとえば、私の場合、タブレット端末の生みの親のSteve Jobsの話。 この人ほど、20世紀から21世紀をまたがって、多くの人々に影響与えたひとはいなんじゃないかな?と個人的に思っています。切れ味とユーモアと知性があり、カリスマ性が伺えます。
Stay hungry! Stay foolish!
関心のあることや興味のある人々の英語で日常的に見たり聞いたりしているだけで、少々高度な内容の話でも、だんだん理解できるようになるとおもいます。
本来、英語はそれ自体を勉強するものというより、何かを勉強するための道具であるべきものです。いずれ英語で自らのsomethingを発信できるようになることが今からの世代には求められているのだと思います。Think Different!
そんなこんなで、いろんな場所で手軽に勉強ができるタブレット。その昔、洋画のビデオの英語の字幕表示機を買おうかとしていた時代からすると夢のようです。

ガウス星人だよ~。
じゃあまたね~。
2013年02月12日
実に数学的な『五十歩百歩』
『五十歩百歩』という有名な故事成語がありますね。去年の佐賀県立高校入試特色選抜の国語の一発目『孟子こたえてい曰く・・・』とドーン!と出てましたよ。念のためその出自と意味を調べて要約しますと、『戦が始まり、ある兵が敵前より五十歩逃げた。またあるものが百歩逃げた。『~五十歩逃げたものが百歩逃げたものを笑うことはどうなんよ? これって意味ないじゃん。両者とも逃げたことには変わらん。どっちもどっちじゃん。』と、孟子は言われた。が一般的なようです。
私はこの『五十歩百歩』には数学的思考法が隠されていると、思います。『五十歩百歩』という事柄を括弧に入れることで『逃げた』ということになんら変わりがないという本質が浮かび上がってきます。逆に言えば「取るに足らない事柄にとらわれていると本質が見えなくなるぞ=3」ということです。
これって数学一般に見られる方法論ではないかと思います。例えば、高校で習う微積分法の(近似値)を括弧に入れて、高次元お数式や複雑な曲線、平面、空間の大きさを解析することができること・・・。あるいは無限の数を(無限を数えるこなんて誰もできないよね。)それがあるものとして(無限の実態を括弧に入れることで)応用するとさまざま超重要な数学の大発見が生まれてきました。『ゼロ』の発見だってそうですね。位相幾何学(トポロジー)では、例えばドーナツと取っ手のついたコップは同一視される。という・・・。う~ん、話がムズムズしてきました。
・・・この態度は、日常で起こるさまざまな問題を考える上で、とても重要な態度だと考えます。期末テストの点数、円や株が上がったり下がったり・・・などに一喜一憂するより、もっと本質的なこと・・・を見る態度が重要であると考えます。
『五十歩百歩』という故事成語には、数学は何のため勉強するのか?に対する答えのひとつのがあるのではないでしょうか?
私はこの『五十歩百歩』には数学的思考法が隠されていると、思います。『五十歩百歩』という事柄を括弧に入れることで『逃げた』ということになんら変わりがないという本質が浮かび上がってきます。逆に言えば「取るに足らない事柄にとらわれていると本質が見えなくなるぞ=3」ということです。
これって数学一般に見られる方法論ではないかと思います。例えば、高校で習う微積分法の(近似値)を括弧に入れて、高次元お数式や複雑な曲線、平面、空間の大きさを解析することができること・・・。あるいは無限の数を(無限を数えるこなんて誰もできないよね。)それがあるものとして(無限の実態を括弧に入れることで)応用するとさまざま超重要な数学の大発見が生まれてきました。『ゼロ』の発見だってそうですね。位相幾何学(トポロジー)では、例えばドーナツと取っ手のついたコップは同一視される。という・・・。う~ん、話がムズムズしてきました。

・・・この態度は、日常で起こるさまざまな問題を考える上で、とても重要な態度だと考えます。期末テストの点数、円や株が上がったり下がったり・・・などに一喜一憂するより、もっと本質的なこと・・・を見る態度が重要であると考えます。
『五十歩百歩』という故事成語には、数学は何のため勉強するのか?に対する答えのひとつのがあるのではないでしょうか?

2013年02月05日
コーチングと『こころの処方箋』
塾の講師がやるべき仕事として勉強を上手に教えることはもちろんですが、それと同様に大切なことは子供たちからやる気を引き出し、自分自身で考える力と習慣を身につけさせることだと考えます。そのため、どうしたらいいか・・・・。う~ん、たいへんに難しい課題です。毎日試行錯誤です。
そのために心理カウンセリングを勉強しようと、通信講座を受講してほんの小さな資格ですが『チャイルドコーチングアドバイザー』というものを取得しました。講座を通して傾聴、質問の仕方、上手いほめ方叱り方や、型にはめ込まない配慮・・・いろんなノウハウを学ぶことができました。そのことを毎日の授業の教え方に取り入れています。また、暇を見つけてはいろんな心理学の本も読んでいます。(最近は入試対策で中断していますが・・・・。)
今『体罰』という問題が注目されていますが、一連のニュースを聞くたびに、日本のスポーツ界は『巨人の星』の時代と変わってなかったのか?!今の時代『コーチング理論』を履修することはトップ選手の指導にたずさわる人たちには必須ではなかったのか?と少し驚きました・・・。
心理療法の第一人者 故 河合隼雄先生の『こころの処方箋』というの本の中の「耐えるだけが精神力ではない。」というエッセイがあります。
「日本人は精神力(根性論)という言葉が大好きで特にスポーツでもてはやされる。しかし、多くの場合『忍耐力』ばかり強調される。指導者は『耐えること』第一目標に掲げ、選手に体罰含め、しごきが、あたかも愛の鞭であるかのように与える。忍耐力さえあればすべてが上手いくかのようだ。 仮に上手くいかない場合は選手に忍耐力が足りないから・・、もう一回精神を鍛えなおせ!という図式が見られる。しかし本当の精神力はもっと広義な意味で、『想像=創造力』というものがある。『忍耐力』を強要する指導法では、選手の『想像=創造力』をという最も大切な芽を摘みとってしまうのだ。これは何もスポーツに限ったことでなく、教育や仕事・・・日本の指導方に広く見られるのだ。」というような内容がすでに20年以上もまえに書かれていたのです。
たまたま夕べ見たE-TVのスーパープレゼンテーションという番組では、アメリカの企業や団体の調査で、人のモティベーションを上げるには 飴と鞭だけでは上手くいかない。成功報酬をいくら上げても(同時にダメなら首)行き詰る。 イノベーションをもたらす創造性が求められる仕事ではむしろ障害になる。それより無報酬にするかわりに、自由さ、楽しさ、やりがい、面白さ、自主性を与えるほうが結果は良いのだ。とあの弱肉強食社会のお手本のようなアメリカのビジネスの世界でこのような結果がでたと、夕べのプレゼンターは言っていました。スポーツも同様に自立的に創造力を発揮できる選手が忍耐力だけの選手より最終局面ではきっと強いのだと思います。
受験もおなじようなことがいえると思います。試験を受けるのは誰でもない彼・彼女自身であり、ぎりぎりの局面を打開できるのは彼・彼女が自立的に考えることができる力である、と考えます。さらにその力は受験だけでなく、長い目で見て将来いろんなところでいろんな局面でより大きな力を発揮できるのだと考えます。
塾生には自立的に考える力を身につけてほしい・・・と、日々考え、努力・実践をしています。
そのために心理カウンセリングを勉強しようと、通信講座を受講してほんの小さな資格ですが『チャイルドコーチングアドバイザー』というものを取得しました。講座を通して傾聴、質問の仕方、上手いほめ方叱り方や、型にはめ込まない配慮・・・いろんなノウハウを学ぶことができました。そのことを毎日の授業の教え方に取り入れています。また、暇を見つけてはいろんな心理学の本も読んでいます。(最近は入試対策で中断していますが・・・・。)
今『体罰』という問題が注目されていますが、一連のニュースを聞くたびに、日本のスポーツ界は『巨人の星』の時代と変わってなかったのか?!今の時代『コーチング理論』を履修することはトップ選手の指導にたずさわる人たちには必須ではなかったのか?と少し驚きました・・・。
心理療法の第一人者 故 河合隼雄先生の『こころの処方箋』というの本の中の「耐えるだけが精神力ではない。」というエッセイがあります。
「日本人は精神力(根性論)という言葉が大好きで特にスポーツでもてはやされる。しかし、多くの場合『忍耐力』ばかり強調される。指導者は『耐えること』第一目標に掲げ、選手に体罰含め、しごきが、あたかも愛の鞭であるかのように与える。忍耐力さえあればすべてが上手いくかのようだ。 仮に上手くいかない場合は選手に忍耐力が足りないから・・、もう一回精神を鍛えなおせ!という図式が見られる。しかし本当の精神力はもっと広義な意味で、『想像=創造力』というものがある。『忍耐力』を強要する指導法では、選手の『想像=創造力』をという最も大切な芽を摘みとってしまうのだ。これは何もスポーツに限ったことでなく、教育や仕事・・・日本の指導方に広く見られるのだ。」というような内容がすでに20年以上もまえに書かれていたのです。
たまたま夕べ見たE-TVのスーパープレゼンテーションという番組では、アメリカの企業や団体の調査で、人のモティベーションを上げるには 飴と鞭だけでは上手くいかない。成功報酬をいくら上げても(同時にダメなら首)行き詰る。 イノベーションをもたらす創造性が求められる仕事ではむしろ障害になる。それより無報酬にするかわりに、自由さ、楽しさ、やりがい、面白さ、自主性を与えるほうが結果は良いのだ。とあの弱肉強食社会のお手本のようなアメリカのビジネスの世界でこのような結果がでたと、夕べのプレゼンターは言っていました。スポーツも同様に自立的に創造力を発揮できる選手が忍耐力だけの選手より最終局面ではきっと強いのだと思います。

受験もおなじようなことがいえると思います。試験を受けるのは誰でもない彼・彼女自身であり、ぎりぎりの局面を打開できるのは彼・彼女が自立的に考えることができる力である、と考えます。さらにその力は受験だけでなく、長い目で見て将来いろんなところでいろんな局面でより大きな力を発揮できるのだと考えます。
塾生には自立的に考える力を身につけてほしい・・・と、日々考え、努力・実践をしています。
